フルハルター*心温まるモノ

0.9ミリシャープペンシル―モンブラン167

  私がここ十五年常用していたシャープペンシルはモンブラン75という型のものだ。芯の太さは0.9ミリである。モンブラン75というシャープペンシルはモンブラン72という万年筆とセットになっているもので、デザインは統一されている。モンブラン72という万年筆は十八金張りキャップ、十八金ペン先、ボディはプラスチック、ボディの色はブラック、グレー、ボルドー、グリーンと四色揃っていた。私はボディの色はグリーンのモンブラン72を持っていたので、シャープペンシルもボディの色はグリーンのものを選んだ。
 
 モンブラン75シャープペンシルは、芯の繰り出しはノック式で、芯タンクには0.9ミリ芯が二十本ぐらいは入る。シャープペンシルで文字を書いていて芯が短くなり、それを使いきったときは、万年筆ならばキャップのてっぺんにあたるところにあるノックと呼ばれる部分を親指で何回かというより三回か三回押すと、芯が文字を書ける状態にまで押し出されてくる。万年筆のキャップに相当すれ部分は金張りになっている。モンブランのシャープペンシルは75の型までは芯の太さが0.9ミリだったが、その後は0.7ミリの0.5ミリの芯に移行してしまった。
 
 小学生、中学生、高校生、大学生が使用するシャープペンシルの芯の太さは0.5ミリが圧倒的だ。これは樹脂芯の開発により、0.5ミリという太さでも、文字を書いていても芯が折れにくくなり、それとともにシャープペンシルの価格が一本百円などという低さに設定されたため、彼らの日常用筆記具となったと言われている。
 
 私も0.7ミリとか0.5ミリという太さの芯のシャープペンシルを使ってみたことはある。あれは私には向かない。字が細すぎるのだ。私は万年筆のペン先もMより太いものしか使用しない。最も多いのはB、太字である。BB、極太というのも持っている。もっとも万年筆のほうのペン先は、BやBBのものは、全部森山モデルにしてあるので、実際の太さはBはMに、BBはBに近くなっている。しかし、万年筆の場合、私は手帳用以外にはF、細字といったペンは使用しない。文字の線にある程度の太さのあるほうが、好みだからである。
 
 したがってシャープペンシルで文字を書く場合も、文字や数字の線が細いのはどうもしっくりしないのだ。それで0.5ミリや0.7ミリの芯は敬遠し、ずっと0.9ミリ芯のシャープペンシル・モンブラン75を愛用してきたわけである。また私は芯の濃さもBか2Bでないと駄目なのだ。芯が軟らかくて、色の濃いものでないと、たよりない気がするからだ。それは私の筆圧とおおいに関係がある。私は筆圧が極端に低い。万年筆で文字を書く場合、ペン先に力を入れることはない。ペン先は軽く紙に触れるだけ。それでいてかなりの速さで文字を書く。だから私の持っている万年筆は全部、インクの流れのすこぶるよいものばかりになっている。全部、私の書きぐせに合わせて大井町の万年筆店「フルハルター」主人の森山信彦氏に調整してもらったものばかりである。
 
 ほとんど力を入れずに軽く万年筆を握って文字を書くのが私のやり方だから、それはシャープペンシルにしても同じになる。だから私にとってはHBでも芯が硬い気がするのだ。それでシャープペンシルの場合は、0.9ミリの2Bが常用の芯ということになったわけなのである。
 
 私は万年筆の場合だと結局モンブラン146の軸の太さが、私の手の大きさにぴったりだということに気がついた。二十年以上にわたるモンブラン万年筆遍歴のすえにである。この太さが私には最も相性がいい。モンブラン146で文字を書いているかぎり、三時間でも四時間でも五時間でも六時間でも疲れない。五時間も六時間もということは、まずないことではあるけれども……。
 
 そういう私に言わせると、モンブラン75シャープペンシルの軸はやや細すぎると思うのだ。たまに字を書くのならモンブラン75でいっこうにかまわない。ところが私の場合、雑誌の原稿やテレビのナレーション原稿を書くのが仕事になっている。日常的にモンブラン75を使用するわけだ。そして実際ここ十五年ばかり、ずっとモンブラン75を使用してきた。私はせめてモンブラン146とセットになっているシャープペンシル・モンブラン165の太さならなあと何度思ったかしれない。残念ながらモンブラン165というシャープペンシルは芯の太さが0.5ミリか0.7ミリのものしか適用できないのである。
 
 万年筆やボールペンやシャープペンシルや水性ボールペンといった筆記具の軸の太さを考えてみると、軸が細い場合、どうしても力が入ってしまう。軸が太ければ、同じ力を加えたとしても、それが分散されるため、そう力が入ったという感じがしないのかもしれないとは思うのだが……。
 
 とにかく私は、万年筆ならモンブラン146の太さが気に入っているので、シャープペンシルにもモンブラン146と同じ軸の太さで、芯の太さは0.9ミリのものができれば理想的なんだがなあと思いつづけてきた。
 
 その理想のシャープペンシルがついに登場したのである。その理想のシャープペンシルがついに登場したのである。一九九五年一月から販売されるようになった、マイスターシュテュック・グランド・コレクションのなかのシャープペンシル・モンブラン167がそれだ。このシリーズには161というボールペン、166というマーカーも揃っている。軸の色はブラックとボルドーの二色だ。
 
 モンブラン167シャープペンシルは、とにかくモンブラン146万年筆をシャープペンシルにしたものだと考えてもらうとわかりやすい。一番の特徴は軸の太さだ。モンブラン146の軸の太さは、手元のノギスで計測すると1.3センチである。モンブラン167シャープペンシルの軸の太さも1.3センチである。これは当然と言えば当然なのだがこの太さが私にとってはありがたいのだ。
 
 ちなみに私の愛用してきたモンブラン75シャープペンシルの軸の太さはというと、0.95センチである。その差は直径で3.5ミリにすぎない。たった3.5ミリだと思うかもしれないが、直径0.95センチの円周は約3センチであり、直径1.3センチの円周は約4センチで、その差は1センチある。つまり、モンブラン167はモンブラン75に比較して、軸のまわりが1センチ長いということになるのだ。これは軸を握ったときの感じがまったく違う。
 
 これまでモンブラン75を握ったときに、つい力が入ってしまうということがよくあったのだが、モンブラン167の場合はそういうことはなくなった。なにしろモンブラン146の万年筆と同じ太さなのだから。
 
 そして芯の太さは0.9ミリだ。これはモンブラン75シャープペンシルと同じだからなんの問題もない。問題は芯の濃さだ。モンブランの0.9ミリの替え芯はHBしかないのだ。私はこれはしかたがないので、ステッドラーの0.9ミリ2Bという芯に詰め替えて使用することにした。これまでもモンブラン75に詰めていたのと同じものである。
 
 モンブラン167シャープペンシルの芯繰出し機構はノック式ではない。キャップ回転式である。シャープペンシルのキャップ相当部分を右にひねれば芯が繰り出され、左に回すと芯が引っこむ方式である。そして芯を使いきった場合、自動的に芯タンクから芯が出てくるわけではない。その場合はキャップをはずし、芯タンクをふさぐ消しゴムをはずして芯タンクから芯を一本引き出す。そしてその芯をシャープペンシルの先端から押し込むのである。昔の、それも三十年以上前のシャープペンシルの芯の詰め方が復活したのである。戦国時代の火縄銃と同じような、先込め方式と言ってもいいだろうと私は思う。
 
 モンブラン146万年筆は、今から七十年も前に今のものとほとんど同じデザインで発売された。インクの吸入方式は当時と同じ回転式だ。完成された形で登場した万年筆と言えるだろう。なにしろ七十年間モデルチェンジがなかったのだから。それだけではない。ここへきて、軸やキャップにプラチナを用いたり、金とプラチナ、純銀を用いたりしたものが次から次へと登場するようになってきた。
 
 そのことと軌を一にするかのように、モンブラン146万年筆のシャープペンシル版と言うのか、モンブラン167シャープペンシルが、ついに現実のものとして私たちが毎日使用できるようになったのである。七十年もかかってと言うべきなのか、七十年たったからこそと言うべきなのか、とにかく私はモンブラン167シャープペンシルを手にすることができて幸せだと思うものである。
 
 モンブラン167シャープペンシルの使い心地はどうかというと、現在のところ私にとっては理想のシャープペンシルで文句をつけるところはどこにもない。手に持ったときのバランスもいい。芯はステッドラーの0.9ミリ2Bの濃さで紙の上を滑らかに文字を定着させていく。書き損じをしても、芯の濃さが2Bなので、消しゴムで難なく字を消すことができる。なにより手に力を入れる必要がないから疲れない。それは万年筆のときよりは若干よけい力が入っているようには思うが、軸が太いぶんだけ、加える力が少なくていいようだ。これまで愛用していたモンブラン75シャープペンシルに望んでいたことが、モンブラン167には全部備わっているという思いがする。
 
 つまり完璧だと私が思う商品に接したときに、いつも思うことなのだが、その商品に関して私はもう思いわずらうことから解放されて自由になったということなのである。私はシャープペンシルについては、どこかに私の気に入る製品はないかなと思うことはなくなったのである。これから私はシャープペンシルに関するかぎり、モンブラン167だけを常用にするつもりでいる。それが可能になったことがたいへんうれしいと思うのである。

鳥海 忠氏著 『ホンモノ探し』
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# by fullhalter | 2001-03-10 18:34 | 万年筆について書かれた本

モンブラン146森山モデル 

 私はモンブランの万年筆を四十本所有しているが、そのうちの五本は146というナンバーの製品である。 モンブランの誇るマイスターシュテュックには軸の太い順から149、146、144の三種類がある。 このマイスターシュテュツクの原型は一九二四年に売り出されたということだから、およそ七十年間にわたるロングセラーということになる。 私は146とともに144も三本持っているがいちばん軸の太い149は今は所持していない。 昔は一時期、購入し使用していたこともあった。 しかし、私の手には149はどうにも軸の太さが合わなくてイヤになり友人にやってしまった。 本当なら、146も私には軸がやや太い気がするので、146と144のあいだの太さのものがあればいいのだが、そういう製品はマイスターシュテュツクにはない。 で、146を使用しているのである。

 たしかにマイスターシュテュック146はペン先のしなり具合といい、インクの流出のスムーズさといい、インク吸入機構が七十年間変化のないピストン式だということといい、万年筆の傑作だと多くの人がいうのは素直に納得できる商品だと私も思う。
 
 私が持っているモンブラン146のうちの二本はペン先が特別に柔らかいものになっている。 ペン先の太さはMとBだ。 特別に柔らかいとはどういうことかというと、現在販売されている146につけられているペン先ではなくて、一九四〇年代の後半、つまり第二次大戦が終了したころ、モンブラン146に装着されていたペン先というのが、モンブランの日本総代理店ダイヤ産業に何本か残っているという話をダイヤ産業の森山信彦氏に聞き、無理をいってそのペンを頒けてもらい調整してもらったことがあるからである。 このペン先の柔らかさに近い書き味の万年筆といえば私の持っているもののなかでは、パイロットエラボーの中字のものしか思いあたらない。
 
 残る三本のモンブラン146のペン先はMのものばかりなのだが、このうちの二本は最初からMだったのではない。 BBという太さのものとBという太さのものを、森山さんによってMに削ってもらったいわくつきのものなのである。 森山モデルとは森山信彦氏によって新たにBBなりBからMに再生した万年筆という意味が込められているのである。
 
 もう八年前になるが、光文社文庫で『こだわり文房具』という本を出してもらったとき、私はモンブラン万年筆のデッドストックを探しに香港やシンガポールに出かけたことを書いた。 それを読んだ森山さんから連絡があり、私の持っているモンブラン万年筆のペン先を私の書き方に合わせて調整してくれるというのである。 私は訪ねてこられた森山さんの前で住所と氏名を何回も何十回も書いた。 それを見て森山さんは私の書きぐせを見抜いたのであろう。 当時私が所持していたモンブラン万年筆十教本は一ヵ月ほどしたら、どれもこれも、万年筆というのはこんなにも書き味のなめらかなものなのかと思うほど良好な状態のものになって私のところに戻ってきたのである。
 
 私は万年筆に対する森山さんの熱意に驚きいったいどういうわけで、こういう状態のペン先に調整することができるのかと森山さんに事情を聞いた。 私自身はモンブランばかりでなくほかのメーカーの万年筆も相当数持っている。 万年筆好きな人間だと自認している。 同じように森山さんも万年筆好きなのだが、その度合いが私など比較にならないくらい激しいのである。 なにしろ森山さんはモンブランの万年筆が好きでたまらなくて、ダイヤ産業に入社し、サービス部で万年筆の修理・調整を職業にしてしまったというのである。
 
 職業がらといってしまえばそれっきりではあるが、森山さん自身がまたモンブラン万年筆のコレタターとしては当代きっての人であることも何回か話を聞いているうちに判明してきた。 日本のモンブラン愛好家に少しでも書きやすい万年筆を使ってもらいたくて森山さんはこの二十年間に、何万いや何十万という本数の万年筆の調整を仕事として続けてきたというのである。
 
 その森山さんにいわゆる森山モデルの話を聞いたのはいつごろのことだったか。 モンブランのペン先のBとBB、これは太字、極大字のペン先の略称なのだが、それを持っている人はわかると思うがBあるいはBBのペン先というのは、ペン先が紙に正しい状態で接していればBなりBBの太さの文字が書ける。 ところが人間には十人十色の書きぐせがあり、すべての人が理想的な状態で万年筆を使用しているわけではない。 力の入れ方も人によって違うし、筆圧も違う。 万年筆の握り方や傾け方もさまざまである。 BやBBを傾けて使用すると紙を引っ掻いてしまったり、インクがちゃんと流れなかったりすることがある。 そういったことに森山さんは古くから気がついていた。 BとかBBというペン先をもっとなめらかなものにすることはできないのかと森山さんは自分の所持する万年筆をモデルにして何度も試行錯誤を重ねてきたというのである。 そしてそれがほぼ十年ぐらいたったころ、ようやくこれならと思えるものができるようになったのだそうである。
 
 森山さんはなにしろ、ペン先を調整するのに目の細かい紙ヤスリが必要になり、市販のもので間に合わないとわかると上質の和紙に金剛砂をしみこませて、たった一枚しかこの世に存在しない極極細の紙ヤスリを自分でこしらえてしまう人である。 万年筆のペン先の状態を向上させる熱意は並みのものではない。
 
 では森山モデルとはどういうものかというと、BなりBBなりの太さを犠牲にしてMにする代わり、どのように傾けようが、力を多少加えようが、BやBBのときには得られなかったなめらかな書き味が保証されるというものなのである。 しかも最初からMのペン先とは違い、インクの流れに余裕があるから文字がゆったりした太さになるという特徴も持っているのである。
 
 私は原稿を万年筆で書くことが多い。 放送原稿は鉛筆やシャープペンシルのこともあるが、活字用の原稿はまず万年筆を用いる。 その際BやBBだと文字が太くなりすぎて、原稿用紙のマス目いっぱいになり、見た感じが、つまり文字と余白とのバランスがぴったりこないのである。 そうするとBとかBBというペン先の出番が減る。 それをなんとかしたいなと思っていたところへ、森山モデルの話である。 私は森山さんに146のペン先を森山モデルにしてくれるよう依頼した。 もちろん私の書きぐせを考慮のうえ調整してくれるようにとお願いしたのはいつものとおりである。
 
 モンブランのマイスターシュテュックは熟練した職人が手作りで万年筆を作っている。 ペン先も同じだ。 もちろん道具は使う。 ただ手作りのためペン先の太さFとかMとかBというのは職人が自分の目で確認して選択するのだという。 またペン先は同じように製造されても一本一本すべて書き味が違う。 だからBなりBBというペン先も、場合によってはBでもMに近いものもあればBBに近いものもある。 万年筆というか、モンブラン万年筆はそういった万年筆だということは頭のどこかにいれておいていただきたい。
 
 一ヵ月ほどして生まれかわったペン先を確認するため私は浜松町に行き森山さんから、BとBBがMに変化したモンブラン146を受け取った。 ルーペでペン先を覗いてみると、BやBBのときにとがっていたペン先の形が丸くなっている。 太さも前よりは細くなっている。 私は二本のモンブラン146を交互に手にし、極端に右に傾け、左に傾け自分の名前を書き続けた。 二本ともインクの流れが途切れることはない。 ペンを左右どちらにどんなに傾けても、ペン先が紙を引っ掻くこともない。 そして両者ともにたしかにMの太さなのだが、BBだったペン先のほうがBだったものより心持ち太い文字が書けるようになっている。 私はこうなってほしいなと考えていたことが、森山さんという名手のおかげで現実のものとなり、まだこの世に何百本もあるわけではない森山モデルの初期の二本を自分のものにすることができたのである。
 
 ペン先の調整・検査に関しての森山さんの技術はモンブラン本社でも認めている。 ドイツ・ハンブルクにあるモンブラン本社の役員が来日して森山さんの調整したペン先のなめらかさに驚き、モンブランの工場でその技術を教えてくれるようにという要請があったというのである。
 
 もともと、森山さんがペン先調整の技術を習得したハンブルクのモンブラン万年筆の本社から、そういう話がくるくらい、森山さんの腕は、それこそ国際的に認められているのである。 森山さんが、ドイツのモンブランの工場でドイツの人々に万年筆調整の技術を教える話は、先方の希望が二年か三年という長期にわたるものなので実現しなかった。 そのあいだの日本での検品や調整をする人がいなくなってしまうからという理由からであった。  
 ところで、モンブラン万年筆の日本総発売元は一九九三年三月、ダイヤ産業からダンヒルグループジャパン株式会社に移った。 森山さんも、ダイヤ産業からダンヒルグループジャパンに移り、以前と同じようにモンブラン万年筆のペン先の調整、万年筆全般の検品を担当していた。
 
 その森山さんが、独立し東京・大井町に万年筆店を開くというのである。 モンブラン万年筆の調整はどうなるのか、私は他人ごとながら心配になった。 話を聞いてみると、森山さんは独立しても相変わらず、モンブラン万年筆のペン先の調整・修理は続けるというのである。 もちろんダンヒルグループジャパンには森山さんと一緒にペン先の調整を担当する人たちは残っている。 私は日本の万年筆愛好家のためによかったとひと安心した。  
 
 さらにいえば、森山さんはこれからはモンブランだけでなく、ペリカンだろうがパーカーだろうがシェーファーだろうが、あるいは日本のメーカーの製品だろうが、万年筆の書き味にこだわる人々の相談に応じてくれるようになったということでもある。 そのための独立だというのだ。 万年筆好きの一人として、私は本当によかったと思った。
 
 このところ私は原稿を書くときは、モンブラン146の森山モデルばかりを使用している。 なめらかな書き味で、スラスラヌルヌルと文字を書くことが楽しいのである。 それこそ私は理想に近い万年筆で、思う存分、文字を書く自由を得ているということになる。
 
 私はキャップ・軸ともに千分の九百二十五という純度のスターリングシルバー製、ペン先は一八金の太さBという傑作万年筆モンブラン1266を持っている。 この絶版万年筆は今から八年か九年前、ようやく香港で探しあてたホンモノである。 私はこの1266を森山モデルに変更してもらいたいと思い、今その時期をうかがっているところなのである。

追記
 日本におけるモンブラン万年筆の消費者サービスの充実に関しては、元ダイヤ産業専務で現ダンヒルグループジャパン・モンブラン事業本部長、島久雄氏の功労をはずすわけにはいかないだろう。 モンブラン製品のアフターサービスの基礎は島氏が築いたものだ。 私はその恩恵を十分に受けた。 また私は島氏から万年筆業界の動向についておりにふれ教示を受けている。 ありがたいことだと思っている。   

鳥海 忠氏著 『ホンモノ探し』


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# by fullhalter | 2001-02-24 16:27 | 万年筆について書かれた本

『ホンモノ探し』概要

【 著 者 】   鳥海忠――エッセイスト。放送作家。中央大学マスコミ講座講師。
【 出版社 】   株式会社 光文社 (光文社文庫)
【 発 行 】   1995年8月20日

【 まえがき 】  
  ……
  とにかく、好奇心のおもむくところ、私はホンモノを探して試行錯誤をくり返してきた。そして結局私たちが満足するのは、ホンモノによってでしかないと思い至ったのである。ホンモノといっても、人によってそれぞれであるのは当然である。ここに記したのは、あくまでも私にとってのホンモノとホンモノ探しの経過であり、このうちのいくつかは参考に供することができるだろうと思っている。
  私としては多くのホンモノに接することにより、ある程度は生活が豊かになったような気がしている。私はこれからも、できるかぎりホンモノ探しを続けるつもりでいる。

【 目 次 】

シングルモルトの最高峰ラガブリン16年/モンブラン146森山モデル/英王室御用達ブリッグ・アンブレラ/ダッフルコートのオリジナルカラーはネイビーかベージュか/ベルリンにおけるビールの注ぎ方/並木籔蕎麦のつゆの作り方/製造番号一番の双眼鏡/ナンバーワン・サック・スーツ/ドミニク・フランス本店のネクタイ/背中のポケット/リーガルシューズとくろすとしゆき/L・L・ビーン・メールオーダー/ペッカリの手袋/バーバリーとアクアシュキュータム/円盤型の中国茶・雲南七子餅茶/鉄道時計/一年の誤差10秒以内/アメリカの懐中電灯/スイス兵士が持っているアーミーナイフ/ダンヒル・アーミーマウントパイプ/照度計とZライト/築地で探した牛刀と文化包丁/アルカリイオン水の味/正統派ジン・ライム・ソーダ/サッポロ一番とハイミーの関係/日本酒を優雅に味わう漆塗りの片口/一分間に三千回震動する電動歯刷子/尾張屋清七版江戸切絵図/一万分の一地図で地元を見直す/広重画 名所江戸百景/うそ替え神事/薬のういろう/ほのおうちわとからすうちわ/なるしまフレンド・ロードレーサー/一眼レフカメラ/早指し二段 森田将棋/ウォールストリートブリーフケース/ウォールストリートブリーフケース/ 0.9ミリシャープペンシル――モンブラン167
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# by fullhalter | 2001-02-24 15:54 | 万年筆について書かれた本

『こだわり文房具』

私はカタログ、あるいはカタログ雑誌を見るのが好きで、書店でそれらのものが目につくとページをパラパラとめくり、そこに万年筆が出ていれば、まず十冊のうち九冊は購入する。

 いくら万年筆の写真が出ているからといっても、十冊のうち一冊は買わない。買わない一冊はどういうタイプのものかというと、あまりにお座なり、単に万年筆の写真だけ、それも広く知られているメーカーのいま売られている製品だけしかのせてないものは、それこそ編集の努力が見られないので買わないのである。

 いま私の手元にある、万年筆の本、写真集、ムックといったものを列挙すると次のようになる。
  
  中央公論社の『世界の文房具』、『文房具の研究』、『文房具の世界』、『文房具の魅力』。
  株式会社ステレオサウンドの『文房具事典』。
  東京アドバンク編『ステイショナリーと万年筆のはなし』。
  平凡社カラー新書、梅田晴夫『万年筆』。
  読売新聞社、梅田晴夫『万年筆』。
  青土社、梅田晴夫『万年筆』。
  文研社『筆記用品百科』、『現代筆記具読本』。
  講談社、文・中園宏、写真・名鏡勝朗『世界のアンティーク万年筆』などである。
 
 などであると書いたのは、たとえば★ワールドフォトプレス『モノ・マガジン』一九八六年四月号「特集文房具大図鑑」といったものも何冊か持っているのだが、それまでいちいち書名を書いているとキリがないからである。
 
 世の中には万年筆の好きな人がけっこう多いようである。
 
 万年筆の好きな人がけっこう多いようではあるけれど、昔のように、万年筆を背広の内ポケットにさしている人は、近ごろはほとんど見かけなくなった。
 
 まして、人前で万年筆で字を書く人というのは、皆無といっていいくらい見なくなった。
 
 それが私には残念でならない。
 
 もっとも、そういう私にしたところで、日常携帯する筆記具はボールペンになってしまったし、事務用文書はボールペンかサインペン、あるいはポールぺんてるを使用するようになって久しいから、他人のことをあれこれ言うつもりはない。
 
 万年筆といえば雑誌『特選街』の一九八二年四月号「《筆記具》見つけた、感動した、この一本」に、私はパイロット万年筆エラボーを紹介したことがある。
 
 全国万年筆専門店会とパイロットで共同開発したという、万年筆エラボーは、パイロットから販売されていたが、パイロットでは一切宣伝していなかった。
 
 その存在を私が知ったのは、八王子の万年筆専門店「金ペン堂」の主人安田氏にすすめられたからで、私の文章が『特選街』に掲載されてから、万年筆の各種の写真が出ている雑誌などには、たいてい「エラボー」も出るようになった。
 
 そのことは、必ずしも私が雑誌に「エラボー」のことを書いたためだけではないにしても、私にとっては心たのしいことてあった。
 
 心たのしいといえば、「エラボー」の原稿を書くために、私はパイロットの京橋の本社に行き、「エラボー」の開発を直接担当した大坂氏から話を聞き、大坂氏は私の持参した「エラボー」のペン先をキッチリ調整してくれ、「エラボー」がさらに書きやすくなったことなどもいまに忘れがたいことである。
 
 文芸春秋から出ている池波正太郎著『夜明けのブランデー』には「万年筆」という文章がある。

 商売柄、万年筆は四十本ほど持っている。
  
 ともかくも、原稿紙にペンが軋む音がするようでは駄目だ。そうした万年筆で仕事をしていると、てきめんに手が疲れる。肩が凝る。気分も散る。
  
 モンブラン、ペリカン、シェーファーなどの万年筆の中で、いちばん、私の手になじむのはモンブランで、本数も多い。
  
 毎年、年の暮れになると、使っていた万年筆の大掃除をして、やすませてあった万年筆も出し、来年に使うペンをきめる。
  
 今年の私は、ほとんど、モンブランを使わなかった。
  
 万年筆の職人として、「知る人ぞ知る……」岩本止郎さんがつくった万年筆五本を使用している。岩本さんは、もう八十に近いはずで、いまも元気で某デパートの一隅に自分のコーナーをもち、仕事をしておられる……と、おもっていたところ、すでに亡くなられたそうな。(後略)

 某デパートというのは東京・八重洲の大丸のことで、私自身、池波さんのこの本を読むまで、岩本さんが亡くなられたことは知らなかった。因みに『夜明けのブランデー』が発行されたのは昭和六十年十一月二十五日である。
 
 実は私も岩本さんの作った万年筆を一本持っている。もう何年前になるか、太字でインクの流れのいいやつを下さいと頼んで、岩本さんが「これなんかどうでしょうか」と選んでくれたものを購入したことがあったのである。キャップ、軸とも黒いエボナイト製て、ペン先は十四金のものである。
岩本さんの万年筆は、私の望みどおり、実に実にインクの流れの潤沢な書き味の申しぶんないもので、万年筆は。ペン先のタッチばかりでなくインクの流れがよくなくては話にならないと思うようになったのは、岩本さんの万年筆を使うようになってからのことであった。
 
 ところで、池袋の西武デパートの万年筆売場で私は二度掘り出しものを見つけた。一度目はモンブランの1246というキャップ、軸ともに金張りのペン先は十八金の傑作万年筆であり、もう一度はあのパイロットのノック式のキャップレス万年筆であった。
 
 モンブランの1246という万年筆は私が香港でたまたま見つけたのだが、日本のモンブラン総代理店ダイヤ産業にも在庫がないということを確認していた。いまから六年か七年前のことである。
 
 香港で1246を買ってきて半年か一年ぐらいたったころ、たまたま池袋の西武の万年筆売場をのぞいたら金ピカのモンブラン1246が旧定価二万五千円であったのである。
 
 もちろん私はそれを買った。さらにその後静岡のディスカウントショップで、私は三本目の1246にめぐりあいそれも購入した。こちらは一万七千五百円であった。香港で買ったのは八千円だった。
 
 パイロット万年筆がキャップのないノック式の万年筆を発売したのは昭和三十八年のことである。たしかに一時期その斬新なアイディアによりたいへんな話題になったパイロットキャップレスという万年筆は、いつのまにか製造を中止し、市場から姿を消してしまった。
 
 私も昔はキャップレスを一本持っていたのだが、それもいつのまにか消えてしまった。折りにふれて私はパイロットキャップレスをさがしてみたのだが、まったくどこの万年筆店でもノック式のあのパイロットキャップレスは姿を見ることがなかった。
 
 さきごろあてもなしに池袋西武の万年一筆売場をのぞいてみたら、ショーケースの上に旧定価で販売すると断り書きがしてあって、私がさがしまわっていたパイロットキャップレスが五本並んでいたのである。
 
 私は昔自分が持っていたのと同じ型のノック式万年筆を一本、旧定価二千円で手にいれた。昭和四十年ごろの二千円というのは、いまと違ってずいぶん高いなという気がしたものである。
 
 私は男たるもの、曰く因縁のあるものだけを身の回りにおくべきだという考えを持っている。別に男たるものだけでなくてもいい。女たるものでも一向かまわないし、子供たるものでもいい。
 
 曰く因縁のあるものとはどういうものかといえば、とにかく自分にとってこれていいと言いきれるものでなくてはならないということになる。
 
 万年筆で私の曰く因縁のあるものといえば池波正太郎氏が五本所有している、また私も一本所持している岩本止郎さんの作った万年筆がそうであるし、パイロットのエラボーもそうだし、同じパイロットのノック式キャップレスもそうである。モンブランの金張り1246もそうである。

 因縁があるといえば「八王子金ペン堂」の主人安田氏が私に、もういまから十年以上前、エラボーよりさらに三年ぐらい前のことだから十二、三年前にすすめてくれたモンブラン74という万年筆もその一本である。

 私はモンブラン74は二本持っている。

 なぜモンブラン74を二本持っているかといえば、金ペン堂で二本購入したからなのだが、モンブラン74を一本購入して家に帰った私は当然のことながら、金ペン堂で味わったのと同じ書き味かどうかを、原稿用紙、ワラ半紙、チラシの裏、破いたカレンダーの裏のすべすべしたところなどでぐるぐるとマルを書いたり、自分の名前を書いたりして確認した。

 当時、つまりいまから十二、三年前、すでに製造を中止していたというモンブラン74は、私の万年筆観を一変させるほどの、それこそおどろくべき万年筆であったのである。

 私の万年筆観を一変させるおどろくべき万年筆とはどんなものかというと、手に力をまったくいれることなく、ただにぎってペン先を紙に接すれば、勝手にペン先が動いて字が生まれてくるといった感じの、山口瞳のいうスラスラヌラヌラ書けてインクが手につかない、私にとって理想の万年筆だった。

 値段は高かった。モンブラン74はキャップが金張りのペン先は十八金の金ペンだが、これは当時モンブラン146と同じ価格で一万八千円していた。

 いまモンブラン146は三万五千円が定価で、アメ横あたりへ行けば、もちろんもっと安く買えるけれど、それはモンブラン146はいまも製造され販売されているからのことである。

 十三年前、私が買ったときすでに製造を中止していたモンブラン74は、当時でさえ、たまたま私が金ペン堂主人安田氏に無理な注文を出しそれならこれはどうでしょうかと陳列棚ではなくて、その下の引出しから取り出すような品物だったのである。

 私の無理な注文というのは、紙質を問わずどんな紙にも同じように書けて、インクがよく流れて、手に力をいれなくても書ける太字のものというのであった。
 
 私の要求をモンブラン74は完全に満たしてくれた。
 
 安田氏は軸の色は黒とエンジと二色ありますが、太字のペン先はこの二本だけです、どちらにしますかと私に尋ねた。
 
 私はオーソドックスな黒にした。
 
 十三年前の一万八千円である。もしいまもモンブラン74が製造されていて、万年筆売場に並んでいるとすれば、モンブラン146と同じだとして三万五千円。やはり高いと思う。
 
 しかし、私は理想の万年筆にめぐりあえたわけである。この機を逃してなるものか。私は次の休みの日にまた八王子横山町に出かけた。もう一本のモンブラン74を買うために。
 
 そのようにして私は理想の万年筆を二本持つことができるようになり、いまもその二本を使って原稿を書いている。

 モンブラン74と同じ軸、同じペン先で、キャップが金張りではないエボナイトのものがモンブラン14だが、私はその後これも一本さがしあてた。

 またモンブラン74よりひとまわり小さい型のモンブラン72、モンブラン72と同じ型でキャップ、軸とも金張りのモンブラン82といった万年筆も、ずいぶんあちこちさがしまわり香港で見つけたときは、とにかくほっとしたことを覚えている。

 私はパーカー、シェーファー、ラミー、パイロット、セーラー、ペリカンといった万年筆を使ってきた。

 ダンヒルの銀製のキャップ、軸、金ペン、デュポンの銀製のキャップ、軸、金ペンの万年筆も持っている。
 
 ご存じの方も多いと思うが、ダンヒルは万年筆機構はモンブラン製であるし、デュポンのそれはペリカン製である。
 
 両者とも見ばえもいいし、書き味も悪くない。ただ、私にとっては軸がモンブラン74とか、モンブラン146なんかに比較すると細い。それが気になるので、ダンヒルやデュポンの万年筆で長時間字を書くということは少ない。
 私はいま人に読んでもらう原稿はすべて万年筆で書くことにしている。

 原稿というのは、編集者に見てもらって、さらにいまは写植が多くなったという話だが、写植を打つ人に見てもらうためのものである。

 他人に自分の書いた文章を読んでもらうわけだから、字は読みやすく書かなければいけないし、鉛筆やボールペンでは失礼にあたるのではないかというのが、私が万年筆を使う理由のひとつである。
 
 それだけではない。
 
 二つめの理由は、もっぱら私個人の側のものなのだが、これは私にとってゆるがせにできないものである。
 
 それは、さきほども書いたように、とにかく私は筆圧が弱いというのか低いというのか、字を書くときに手に全く力をいれることをしない。しないような書き方をしている。
 
 それは万年筆だから可能なことで、その万年筆というのも、スラスラヌラヌラ書けてインクの流れの滞りのないものでなければならない。
 
 消しゴムで書き直せるからというので鉛筆を使ったり、ボールペンで原稿を書いたりすると、まず手が疲れて肩が凝るばかりでなく、サラサラと原稿を書くことが私にはできなくなってしまうのである。
 
 それでは仕事にならない。
 
 水性ボールペンとかサインペンあたりなら、まあ書き味は若干というか大いにというか違うけれど、力をいれないで書くこともできる。
 
 ところが、私は水性ボールペンやサインペンの使い捨てという性格がこんどはどうにも気にいらないのである。
 
 そこで原稿は万年筆ということになる。
 
 近ごろは、ワードプロセッサで原稿を書くというのか作る人もふえてきているという話だが、ワープロにはさまざまの機種があり、またメーカ-によって漢字変換の方式も異なっている。
 
 私自身もワープロは所持していて、ワープロで文書を作ることもある。しかしこれはあくまで文書を作るであって、文章を書くというのではない。
 
 ワープロも時間をかけて機械に慣れ、英文タイプライターと同じくらいの速さでキーを打てるようになれば、また話は別かもしれない。だがどうにもそうしたいという情熱がわいてこないのである。
 
 ワープロがいい道具だということは私も認める。けれど私は文章を書くのには、原稿用紙と万年筆を使いたい。
 
 だから、しばらくの間私は万年筆で原稿を書くつもりでいる。
 
 私がいまとにかく一番ほしい万年筆は何かと問われるなら、それはモンブラン84の太字だと答えるしかない。
 
 要するにモンブラン74と同じ形で、キャップばかりでなく軸も同じく金張りの万年筆がモンブラン84なのだが、また、そのモンブラン84よりひとまわり小ぶりのモンブラン82は私は持っているのだけれど、私はとにかくモンブラン84にめぐりあいたいと思っている。
 
 どこかにモンブラン84はないかなと思って折りにふれてさがしてはいるのだが、何しろドイツのモンブランの本社にもとっくになくなっているという万年筆だから、おいそれと姿をあらわしてはくれない。
 『世界のアンティーク万年筆』には、モンブラン84の写真がのっているから、中園宏氏はモンブラン84を所持しておられるのであろう。
 
 私がモンブラン84を折りにふれてさがしだしてから、もう十年が経過した。日本国内ではまずモンブラン84が中古であっても姿を見せる確率というのはほとんどない。
 
 香港やシンガポールの文具店にもなかった。
 
 こうなるとあとはドイツ、フランス、イギリスの文具店か、アメリカ各地の文具店か、そういったところをさがすしかない。
 
 もちろん私はそうするつもりでいるが、これはいまのところつもりだけで実現させるまでに、しばらく時間がかかるのはやむをえないことだと思っている。
 
 ただ、私は自分が古本をさがし出す経験からして、あきらめないでじっくりさがし続けていると、思いもかけないときに思いもかけない場所で、あたりまえのように、あるいは当然そうなるべき運命であったように、どうしても見つからなかった本と出会うことがある。それはたった一回とかそういったものではなくて、時期がくると、何だこんなに簡単なことだったのかと思うくらい、見つからなかった本に一日のうちに二冊もでくわすことがある。
 
 その経験からしても、私はモンブラン84には必ず、どこかでぶつかることがあるだろうという予測を信じているのである。
 
 それにしても、人と人との出会いというのは、まことに人知によっては測りがたいものがあるが、人とモノとの間においても同じことは言えるのではないかと思う。
 
 そういったことを、私は万年筆というモノによってずいぶん学んできたという気がする。
 
 そのもとは何なのか、自分でもよくわからないが、とにかく私は万年筆が好きだということがあげられるだろうと思う。
 
 いや万年筆ばかりでなくて、鉛筆であれ、ボールペンであれ、サインペンをはじめとするマーカーであれ、また毛筆なんかも私は好みがうるさいし、あれこれ言うほうである。
 
 そのなかでも万年筆に対しては、思いこみが激しいということなのだろう。
 
 深沢七郎は昔、まだエルビス・プレスリーが元気だったころ、深沢七郎にとってエルビス・プレスリーは神様だと言ったことがある。
 
 私は私にとってモンブラン84が神様だとは思わないが、深沢七郎がエルビス・プレスリーについて言った気持ちはわかるような気がする。
 
 本気で好きになって、それをずっと持続していると人でもモノでも、その当人にだけ、他の人問には決して見せない姿なり、あるいは素顔といったものを見せるようになるのではないだろうかという気がしてならない。
 
 モンブランで私が欲しいと思っているのはNo.84ばかりではなくて、1246と同じ型で1266というキャップ、軸とも純度925のスターリングシルバーでできている万年筆もそうなのである。ペン先は18金でその上にロジュームというプラチナ系のメッキをしてボディの色と同じにしてあるものだ。
 
 これも私はカタログでしか見たことはない。値段はいくらかというと、昭和五十二年に発行された文研社の『筆記用品百科』によれば、モンブラン1266は物品税込みて三万四千五百円と出ている。いまから十年前の価格である。
 
 同じ表にモンブランの146とか149の値段も出ているが、146は一万八千円、149は二万五千円である。
 
 いま146は三万五千円、149は四万五千円が定価なのて、149は十年前の値段の一・八倍ということになる。それにあわせてみると、1266は六万二千百円になるが実際はもっと高めの値段になるような気がする。
 
 私は1246というキャップ、軸とも金張りの万年筆を三本持っているので、単にキャップと軸が純度925という銀製の万年筆をどうして欲しいのかといわれると、それこそ他人が持っていないからだとしかいいようがない。
 
 それといくらお金を出したところで、モンブラン1266の製造はとっくの昔に中止しているしストックもないわけだから、さがしようもないし手に入れることも困難なわけである。
 
 私としても欲しいのはヤマヤマだけれど、まあ手に入れるのはむずかしいだろうとずっと思ってきた。84をさがすのと同じくらいむずかしいと確信していた。
 
 さきごろ久しぶりで香港に出かけたとき、九竜半島先端の尖沙咀(チムシャチュイ)という繁華街の土産物屋やデパート、文房具店を一日中のぞいていたとき、そのうちの一軒に1246と1266の二本のモンブランが、金色と白金色に輝いてショーケースの中で私を招いていた。
 
 値段は両方とも八百十六香港ドルだという。私が立ち寄ったときのレートは一香港ドルは約二十円だった。どうして八百十六などとハンパな数字なのかは知らない。
 
 私はモンブランの1246と1266の両方を取り出してもらい、ペン先の太さを確認した。
 
 金張りの1246は細字だった。これはいらない。千分の九百二十五という純度の銀製モンブラン1266は太字である。
 
 いくらにできるのかと交渉してみると、一万三千五百円ならいいと店の中国人はいう。それでもよかったのだが、もう五百円安くならないかと私がねばると中国人は「オーケー、オーケー、イチマンサンゼンエンネ」と諒承した。
 
 もはやアンティークの世界に属している万年筆が、いかに香港とはいえたった一万三千円で手に入ったのである。私は大いに満足した。
 
 あきらめてはいけないということなのであろう。
 
 私にはヨーロッパのどこかの文房具店で、それはロンドンかパリかハンブルクか、またはもっと小さな街なのか、文房具店ではなくて古道具屋になるのかわからないが、いまも私のあらわれるのを心待ちにしているモンブラン84の金ピカボディの姿が目にうかぶ。
 
 もうしばらく待っていてくれ。そのうち必ず行くからなと私は未見のモノに対してメッセージを送り続けているところである。 

鳥海 忠氏著 『こだわり文房具――知的作業の道具をさぐる――』
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# by fullhalter | 2001-02-03 15:31 | 万年筆について書かれた本

『こだわり文房具』概要 

万年筆について書かれた本は数々あるが、ここでは、著者の方々のご諒承のもと、鳥海忠さん『こだわり文房具――知的作業の道具をさぐる――』・『ホンモノさがし』(光文社)と、古山浩一さん『4本のヘミングウェイ』の2冊をご紹介する。

自分についての記述も出て来て、非常に面はゆい部分もあるが、読んでいただけると、万年筆調整の実際の感じがよくおわかりいただけるのではないかと思う。


今回からしばらくは万年筆について書かれた本を紹介したい。
 今私が親しくさせていただいている鳥海忠さんの本で、――知的作業の道具をさぐる――『こだわり文房具』である。
 この本で万年筆に興味を持ったというお客様が大勢居られ、いろいろな方が万年筆について書いて居られるが、私は、鳥海忠さんのこの本が一番だと思っている。
 ただ残念ながら絶版で入手することができないので、余計に皆様に読んでいただきたいと思っている。著者のご承諾のもと、これから何回かにわたり万年筆の項について掲載させていただくが、本全体の構成について、以下に目次のみご紹介する。

【 著 者 】   鳥海忠――エッセイスト。放送作家。中央大学マスコミ講座講師。
【 出版社 】  株式会社 光文社
【 発 行 】   昭和62年11月20日

  第1章 書く
万年筆。ボールペン。水性ボールペン。サインペン。ダーマトグラフ。鉛筆。インク瓶。鉛筆削り。筆箱。ペン皿。消しゴム。インク消し。ワラ半紙。原稿用紙。手帳。
  第2章 文房四宝とその周辺
墨。硯。毛筆。印鑑。朱肉。封筒。便箋等。
  第3章 道具I
ものさし。ハサミ。ペーパーナイフ。切り出し小刀とアドラー。ルーペ等。
  第4章 道具II
ワープロ。カード電卓。カセットレコーダー。Zライト。


 そしてこの本の最後に鳥海さんはこう言っておられる。
 「いい職人は、いい道具を揃え、その気に入った道具で、じっくり仕事をするという。私が文房具に求めるところのものも、とにかくいい道具が欲しいということに尽きる。」
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# by fullhalter | 2001-01-27 15:18 | 万年筆について書かれた本