人気ブログランキング | 話題のタグを見る

フルハルター*心温まるモノ

去りゆく11冊と手の中にある1本 碧(第10回)

去りゆく11冊と手の中にある1本 碧(第10回)_e0200879_13405120.jpg

-私のヘミングウエイ

私は完全なる活字中毒症で1年間に200冊近くの本を買う。そんな私にとって神田神保町という街は特別な街である。人生の半分以上をここで過ごしているのではないか?
そんな街・神田神保町に初めて足を踏み入れたのが小学校6年生の時である。1人で電車に乗ったのも初めての当時,異国に来たような緊張感を味わったのを今でも憶えている。少ないお小遣いを手に握りしめて,初めて買った本がヘミングウェイの『老人と海』。古本で10円だった。カバーも付いていなくて,むき出しの文庫本を大切に握りしめて帰っていった。電車賃より安かった色の退色したヘミングウェイを……。

去りゆく11冊と手の中にある1本 碧(第10回)_e0200879_1341062.jpg


セピア色になったその時のことを思い出してみると……。 今ではどこの店だったかまったく憶えていないが,神保町の古本屋街を何軒も何軒も覗いていった。歴史書,哲学書,英文書。そこにいるだけで,大人になったような気分になった。すずらん通り沿いの或る書店では,いかがわしい本が置いてある本屋だと知らずに入って,真っ赤になって出てきた。そんな中,誰もお客さんがいない小さくてカビくさい本屋があった。60歳はとうにこしたような老人が奥の方に座って和綴じ本を読んでいた。いや眠っていたのだ。私は起こさないように岩波文庫の古本の中から横溝正史の角川文庫を探した。当時角川映画『八つ墓村』が大ヒットした頃で,すべての金田一耕助シリーズを揃えるため普通の書店では置いていないマイナーな何冊かを探しに来たのである。しかし,見つからずガッカリして出ようとしたときご主人が突然起きて私を見つめ「そこに座れ。本が好きなのか?」と怖い目で品定めをするように覗いてきた。このご主人,本当は起きていてず~と私を観察していたらしい。また岩波文庫と角川文庫がごちゃごちゃになって置いてあったため,私が岩波文庫の本を探していたと最後まで勘違いしていたらしい。
「どんな本が好きなんだ」
「ハックルベリーフィンの冒険」(ちょうどそこにあったので…)
「そうか冒険ものが好きなのか?」 その老人はその一言からまったく人間が変わってしまったかのように,柔和な笑顔で話し始めた。いろいろな話をしてくれた。今では思い出すこともできないが,アンデルセンから北欧の昔話まで3時間近くも語ってくれた。私も時間を忘れて話しに聞き入ってしまった。昔話を語る老人と孫のように2人は1つの空間を共有した。
そんなご主人が最後に手渡してくれたのがヘミングウェイの『老人と海』の文庫本だった。「これは10円でいいから持って行きなさい。すごく面白いから」と……。 とても横溝正史の文庫本を探していたとは言えないような状況だったので,しかたなくその本を買って,家路を急いだ。これが私とヘミングウェイの第1回目の出会いだった。そう,そしてその時,神保町へ一人で行って帰ってくることが私にとって冒険だったのかもしれない。その象徴となってわたしの記憶の奥底に残ったのがヘミングウェイ。

去りゆく11冊と手の中にある1本 碧(第10回)_e0200879_13413130.jpg


それから何度となくこの文庫本を買うこととなる。なぜかこの本は直ぐに私の手元から消えてしまう運命にあるのだ。友達にあげたり,無くしたりして1年と私の本棚にあったためしがない。それでも懲りずに,旅行などに行って時間つぶす必要に迫まられると,買うこととなる。何度読んでも面白く,どんな田舎の小さな書店にも置いてあるからだ。先日真剣になって買った回数を数えてみたらなんと11冊。同じ本でこれほど買い直した本は1冊もない。これも縁なのかも知れない。
そして,神保町に足を踏み入れてから30年近くたった今年の10月23日。また新たな縁が生まれた。インク研究会での集まりのことである。ゼクスフェダーズ・クラブの会員の慶太さんとその弟さん,そして,Sさんを交えて飲んでいた。そこで,ヘミングウェイは私にとって特別なものであると語ったところ,なんと慶太さんがモンブラン作家シリーズのヘミングウェイの万年筆をそっと差し出し。「それではこれを差し上げましょう」と………。頭の中が真っ白になった。万年筆愛好家の垂涎の的,あのヘミングウェイが目の前にある。こんな私にくださるという。なんという心の大きな人なんだろう。

去りゆく11冊と手の中にある1本 碧(第10回)_e0200879_13432552.jpg


それを見ていた我が親友であり,兄貴分のKings Blueは,わたしの代わりに,大切にしていたモンブランNo.74を慶太さんに差し出して「それではお礼にこれを差し上げましょう」と言って渡しているのです。私がいただいたのに,私のように喜んでくれたKings Blue。家に帰ってからやっと冷静になり1人になると涙が留めようもなく流れてきた。

去りゆく11冊と手の中にある1本 碧(第10回)_e0200879_13434813.jpg




一度も手元に残らなかった11冊の文庫本『ヘミングウェイ』。今まさに私の手の中にある1本の万年筆“ヘミングウェイ”。またヘミングウェイは私にとって特別な名前になった。
そして,翌日の日曜日,小さな本屋に入った。ふと気が付いて1冊の文庫本を手に取った。そう12冊目のヘミングウェイ。この本はいつまで私の元にいるのだろうか……。

去りゆく11冊と手の中にある1本 碧(第10回)_e0200879_13441091.jpg

by fullhalter | 2004-11-12 13:38 | インク研究会