第三十三話 37年目の記念日
1976年4月からの失業期間の求職活動ではバッグ、鞄造りの職人になるべくアルバイトをしていた時期もあった。
その道に入っていたらFugeeさんと今どんな関係でいたのだろうか。
Fugeeさんの鞄を買うこともなかったのだと考えると、今の道(万年筆)は正しく、真っすぐな道を歩んできたのだろうと思う。
学生時代は長期のアルバイト(職人仕事)をして初めて給与の3分の2をはたいて「一生の記念」にと、モンブランのNo.14を求めた。
『趣味の文具箱 Vol..25』にも掲載されているがキャップが割れてしまった。
失業中の身の上に時間はいくらでもあったので、モンブランのサービスステーションに持ち込んで今後割れることがないNo.74にすればとのアドバイスに従い、今はNo.74として私の手元に保管されている。
何時、どこで何が起こるか判らないのが人の世の常。
まさかの出来事がこの時に起こった。
「今、修理する人が不足して困っているんだよね。」と担当の方。その時
「上司の方に入社させていただけないか聞いてもらえませんか。」
これが一生の仕事となった万年筆への入口である。
入社が決まった時は天にも昇る思いだった。
30歳を過ぎて一年間仕事が出来なかったつらさからやっと解放され、入社初日浜松町の貿易センタービル1Fからエスカレーターで2Fのエレベーターホールへ喜び勇んで行った日のこと、昨日のことのように憶えている。
この4月11日という日は私の一生が決まった日。
と、ここまでは、「私と万年筆」の中で何度か書いている。
今回述べたいことは…。
37年目の大ベテランと世では言うだろう。
私だって「この道37年」と聞けば、凄い人だと思う。
だが、私は31歳、間もなく32歳でこの道に入った。
職人仕事と言えば、10代でその道に入らなければ遅いというイメージがないだろうか?
でも、人生の決断に遅すぎることはないと思っていた私にとって 間もなく32歳という年であっても68歳を迎える年まで続ければ「大ベテラン37年目」と評されることを証明したと思っている
モンブラン輸入元勤務時代も自営フルハルターの今日に至るまで実に楽しい時を過ごせたことに感謝である。