「Fugeeのしごと 16点の鞄展」9
私のFugee鞄
藤井さんに初めてお会いした時の印象は「初めて会ったその日から」…そんな軽薄なものではないが、当たらずとも遠からず。
子供の頃から物造りが好きで、ただ「ひたすら」「ひたむき」に物を造る人が好きだった私にとって鞄職人、それも頑固な、と聞いていた藤井さんは穏やかな中に、ご自身の仕事には絶対妥協しない強さが感じられた。
その人柄にひと目ぼれだった。
このHPのどこかで既に申し上げた様な気がするが、ある日突然にあの古山画伯から電話があり、
「森山さん、藤井さん知っているよね。」
「ユーロボックスの藤井さんでしょ。」と私が言うと古山さんは
「違う、違う、鞄職人の藤井さん。」
「名前だけは聞いたことあるけど…。」
「今度うちでバーベキューパーティーやるんだけど、藤井さんも来るからおいでよ。あの人も職人で森山さんと同じ頑固で変人、変人同志合うと思うから来なよ。」
そんな予備知識を与えられて、お会いした時の印象が上記の通り。
頑固者同志だと、普通の穏やかな人に見えるのだろうか。
それ以来何度もお会いしていたが、その魅力は増すばかり。
ただ、怖くて店には一度も行ったことがなかった。
HPをご覧の多くの方々はお判りいただけると思うが、店に行って藤井作品を実際に見てみると、己の心と戦えず負けてしまう自信にみなぎっているのが自分で判るから。
私には藤井作品を求める財力も資格もない。
つまり、藤井さんが全精神を傾注して造りし鞄を持つ為の総合力が欠如していると、自分自身がよく判っていたからである。
一方では、いつの日か藤井さんの鞄を我が家の誰かに使って欲しいという願望はとても強かった。
使ってゆくうちにどんな風に変わり、味わいを深めてゆくのか、この目で確かめたかった。
常々そう思っていた私に、千載一遇の機会が。
2007年に大学を卒業する息子が居り、その記念に藤井さんの鞄を是非造ってやりたいと思った。
男の一生で、仕事を始める(就職)ということは最も大切な区切りであり、一生の中で自ら今後の人生の選択をすることであると思っていた私は、その記念に『Fugeeの鞄』と考え至ったのである。
2005年の秋頃だったと思うが、卒業まで一年半の期間があれば間に合わせてくれると思い、初めて店を訪ねた。
藤井さんは快く
「間に合わせますよ。」と言ってくれたので
「じゃ~今度息子を連れてきます。」と、ここで終わりになるシナリオだった。
だったのだが…、
「私、ワインとグリーンが好きなんですよ。」と言った私に
「森山さん、見るだけ見たら。これもう手に入らないドイツのタンナー カール・フロイデンベルグというところのワインなんだけどもの凄くいい皮革で、大好きなんだ。でも別の人から注文をもらっているから造れないんだけどね。」
その時、残念な思いと、安堵の思いが複雑に交錯した。
少し間があったが、一緒に働いている方が二階へ上がって行った。
そして下りて来るなり
「藤井さん、同じ皮革もう一枚ありますよ。」
何てことだ!私の心は見事に矢で射抜かれた。
(藤井さんも自身の在庫を把握していないのか…。俺と一緒じゃねぇ~か。)
私も大好きなモデルの在庫であっても把握していないことは当たり前で、商売人としては決定的に欠陥人。
更に親近感が増したと同時に、射抜かれた状態は続いている。
でも、まだ何とかこらえ続けていられたのだが…。
またまた一緒に働いている方が二階へ上がり、下りてきた時は何やら古い(汚い?)鞄をぶら下げていた。
(何なんだ?)
「そうそう、これフランス(?)に行った時の古い鞄で、この金具を使う為に買ってきたんだよね。今いい金具がないからこの金具いいでしょう。」
顔はほころび、目はキラキラと輝いている。
他の金具も見せてくれて
「この金具はドイツのものだけど、こんな金具でさえもう手に入らないんだよ。森山さんにだったらこの鞄の金具使うよ。いつでもいいから、とっておくから。」
更に、二の矢である。
この言葉は、完全に私の心を打ち抜いた。
「全てお任せします。お願いします。」
息子の就職記念『Fugeeの鞄』だった筈が…。
これが『私とFugeeの鞄』の縁である。
2005年12月21日
「いつになるか判らないけど、作品展をする時に展示させて欲しい」という言葉を添えてに藤井さんの手書きによるデッサン書きが届けられた。
その手書きのデザイン書が実に味わいのあるものと思う。
それがこれです。
その鞄が“Fugeeのしごと 16点の鞄展”の16作目。
では、画像をご覧ください。
引き続きこの鞄が出来上がってからのことを続ける予定です。
藤井さんに初めてお会いした時の印象は「初めて会ったその日から」…そんな軽薄なものではないが、当たらずとも遠からず。
子供の頃から物造りが好きで、ただ「ひたすら」「ひたむき」に物を造る人が好きだった私にとって鞄職人、それも頑固な、と聞いていた藤井さんは穏やかな中に、ご自身の仕事には絶対妥協しない強さが感じられた。
その人柄にひと目ぼれだった。
このHPのどこかで既に申し上げた様な気がするが、ある日突然にあの古山画伯から電話があり、
「森山さん、藤井さん知っているよね。」
「ユーロボックスの藤井さんでしょ。」と私が言うと古山さんは
「違う、違う、鞄職人の藤井さん。」
「名前だけは聞いたことあるけど…。」
「今度うちでバーベキューパーティーやるんだけど、藤井さんも来るからおいでよ。あの人も職人で森山さんと同じ頑固で変人、変人同志合うと思うから来なよ。」
そんな予備知識を与えられて、お会いした時の印象が上記の通り。
頑固者同志だと、普通の穏やかな人に見えるのだろうか。
それ以来何度もお会いしていたが、その魅力は増すばかり。
ただ、怖くて店には一度も行ったことがなかった。
HPをご覧の多くの方々はお判りいただけると思うが、店に行って藤井作品を実際に見てみると、己の心と戦えず負けてしまう自信にみなぎっているのが自分で判るから。
私には藤井作品を求める財力も資格もない。
つまり、藤井さんが全精神を傾注して造りし鞄を持つ為の総合力が欠如していると、自分自身がよく判っていたからである。
一方では、いつの日か藤井さんの鞄を我が家の誰かに使って欲しいという願望はとても強かった。
使ってゆくうちにどんな風に変わり、味わいを深めてゆくのか、この目で確かめたかった。
常々そう思っていた私に、千載一遇の機会が。
2007年に大学を卒業する息子が居り、その記念に藤井さんの鞄を是非造ってやりたいと思った。
男の一生で、仕事を始める(就職)ということは最も大切な区切りであり、一生の中で自ら今後の人生の選択をすることであると思っていた私は、その記念に『Fugeeの鞄』と考え至ったのである。
2005年の秋頃だったと思うが、卒業まで一年半の期間があれば間に合わせてくれると思い、初めて店を訪ねた。
藤井さんは快く
「間に合わせますよ。」と言ってくれたので
「じゃ~今度息子を連れてきます。」と、ここで終わりになるシナリオだった。
だったのだが…、
「私、ワインとグリーンが好きなんですよ。」と言った私に
「森山さん、見るだけ見たら。これもう手に入らないドイツのタンナー カール・フロイデンベルグというところのワインなんだけどもの凄くいい皮革で、大好きなんだ。でも別の人から注文をもらっているから造れないんだけどね。」
その時、残念な思いと、安堵の思いが複雑に交錯した。
少し間があったが、一緒に働いている方が二階へ上がって行った。
そして下りて来るなり
「藤井さん、同じ皮革もう一枚ありますよ。」
何てことだ!私の心は見事に矢で射抜かれた。
(藤井さんも自身の在庫を把握していないのか…。俺と一緒じゃねぇ~か。)
私も大好きなモデルの在庫であっても把握していないことは当たり前で、商売人としては決定的に欠陥人。
更に親近感が増したと同時に、射抜かれた状態は続いている。
でも、まだ何とかこらえ続けていられたのだが…。
またまた一緒に働いている方が二階へ上がり、下りてきた時は何やら古い(汚い?)鞄をぶら下げていた。
(何なんだ?)
「そうそう、これフランス(?)に行った時の古い鞄で、この金具を使う為に買ってきたんだよね。今いい金具がないからこの金具いいでしょう。」
顔はほころび、目はキラキラと輝いている。
他の金具も見せてくれて
「この金具はドイツのものだけど、こんな金具でさえもう手に入らないんだよ。森山さんにだったらこの鞄の金具使うよ。いつでもいいから、とっておくから。」
更に、二の矢である。
この言葉は、完全に私の心を打ち抜いた。
「全てお任せします。お願いします。」
息子の就職記念『Fugeeの鞄』だった筈が…。
これが『私とFugeeの鞄』の縁である。
2005年12月21日
「いつになるか判らないけど、作品展をする時に展示させて欲しい」という言葉を添えてに藤井さんの手書きによるデッサン書きが届けられた。
その手書きのデザイン書が実に味わいのあるものと思う。
それがこれです。
その鞄が“Fugeeのしごと 16点の鞄展”の16作目。
では、画像をご覧ください。
引き続きこの鞄が出来上がってからのことを続ける予定です。
by fullhalter
| 2010-05-14 15:05
| 私の好きなもの