剣先倶楽部 vol.4
先週は、「剣先倶楽部」発生までお伝えした。
今週は、その後をお伝えしたい。
当時長原宣義さんがペンクリニックで上京されると、食事会、飲み会が開かれることがあった。
その会は、この業界の人ではなく、それぞれの道の達人たちの集いで10名弱。
ある時、その会で、オーナーの樫本さんから「剣先倶楽部」の存在の報告があり、その後発展するかに思われた。
しかし、皆それぞれに忙しい立場の方々ばかりで、誰かが事務局として動かなければならなかったが、残念ながらそういう人がいなかった。
本来なら、私が運営、発展の役を買って出なければ、他に雑用係をされる方などいなかったのだ。
私は雑用係には適任者だと思っているのだが、多くの人々を集めて会を作ることそのものが好きになれない偏屈者。
立場上は適任であったのだが、人間性が不適合者である。
その後、古山画伯の音頭で、「頑固職人の会」と銘打った会が時々開かれている。
メンバーは、人間国宝 きゅう漆の大西さん、鞄職人のFugeeさん、今回鞄を造っていただいたル・ボナーさん等々。
古山さんの人柄に集う方々の会である。
こちらも会則などは全く無く、自由で、何にも縛られることの無い、古山画伯の元に集う会。
「剣先倶楽部」と同じである。
理想的な倶楽部、会であると思う。
文化を伝え続ける古山画伯と、それを支え続けている樫本さん。
貧しく、美しく(本人談)生きる芸術家古山画伯と、それを物、精神面で支えている樫本さんが運営する、これら二つの会は、他に類を見ない文化の継承の役割になっていると、私は思っている。
ヨーロッパ貴族、あるいは明治時代にはあったであろう「文化を守る為のパトロン」樫本オーナーには、フルハルターのHPを作り上げる過程でお力添えをいただいた。
このHPが出来たのは、2000年の暮。
今もそうなのだが、私はコンピュター、デジカメが判らない。
当時、コンピュター、デジカメに造詣の深い樫本さんに適切なアドバイスをいただいて、ニコンのクールピックス990を求め、それなりの画像を提供出来たと思っている。
また、現在でも危うさを感じているインターネットの世界に、友人の力を借りて自分のHPを立ち上げた。
それでも当初は好きになることが出来なかったインターネットの世界に、可能性を見出させてくれたのも樫本さんだった。
HPを立ち上げた翌年の春、Dr.k.kこと樫本さんから
「森山さんが研いだペンポイントを拡大してHPに載せる?」と言われた。
何やらその為に、わざわざレンズや機材を新たに買い求めたらしい。
そして、樫本さんはフルハルターのHPに、“ミクロの世界”を提供してくれた。
「百聞は一見にしかず」 私の仕事が一目で判る。
出来上がったページを己の目で確認し、これまでの自分が変わった。
私の、フルハルターの恩人である。
この恩は一生忘れることはない。
最後に「剣先倶楽部」の作品を2点。
今回は剣先鞄2号だったが、2号ということは1号がある。
その1号が凄い。
日本一、世界一と私が思うあのFugeeの藤井さんの作品。
残念ながら、現物の撮影が出来なかったので、枻(えい)出版社 古山画伯著の『鞄が欲しい』の絵でご覧いただく。
枻(えい)出版社から古山画伯著の鞄の本が出版される予定である。
いつかは判らないが、その時にはまた是非ご覧いただきたい。
次に、“Kensaki Club 万年筆”
このクリップは18金無垢で、古山画伯デザイン
大きな弦楽器を連想させる。
最後に「剣先倶楽部」と「頑固職人の会」が今のまま続いてくれることを切に願っている。
今週は、その後をお伝えしたい。
当時長原宣義さんがペンクリニックで上京されると、食事会、飲み会が開かれることがあった。
その会は、この業界の人ではなく、それぞれの道の達人たちの集いで10名弱。
ある時、その会で、オーナーの樫本さんから「剣先倶楽部」の存在の報告があり、その後発展するかに思われた。
しかし、皆それぞれに忙しい立場の方々ばかりで、誰かが事務局として動かなければならなかったが、残念ながらそういう人がいなかった。
本来なら、私が運営、発展の役を買って出なければ、他に雑用係をされる方などいなかったのだ。
私は雑用係には適任者だと思っているのだが、多くの人々を集めて会を作ることそのものが好きになれない偏屈者。
立場上は適任であったのだが、人間性が不適合者である。
その後、古山画伯の音頭で、「頑固職人の会」と銘打った会が時々開かれている。
メンバーは、人間国宝 きゅう漆の大西さん、鞄職人のFugeeさん、今回鞄を造っていただいたル・ボナーさん等々。
古山さんの人柄に集う方々の会である。
こちらも会則などは全く無く、自由で、何にも縛られることの無い、古山画伯の元に集う会。
「剣先倶楽部」と同じである。
理想的な倶楽部、会であると思う。
文化を伝え続ける古山画伯と、それを支え続けている樫本さん。
貧しく、美しく(本人談)生きる芸術家古山画伯と、それを物、精神面で支えている樫本さんが運営する、これら二つの会は、他に類を見ない文化の継承の役割になっていると、私は思っている。
ヨーロッパ貴族、あるいは明治時代にはあったであろう「文化を守る為のパトロン」樫本オーナーには、フルハルターのHPを作り上げる過程でお力添えをいただいた。
このHPが出来たのは、2000年の暮。
今もそうなのだが、私はコンピュター、デジカメが判らない。
当時、コンピュター、デジカメに造詣の深い樫本さんに適切なアドバイスをいただいて、ニコンのクールピックス990を求め、それなりの画像を提供出来たと思っている。
また、現在でも危うさを感じているインターネットの世界に、友人の力を借りて自分のHPを立ち上げた。
それでも当初は好きになることが出来なかったインターネットの世界に、可能性を見出させてくれたのも樫本さんだった。
HPを立ち上げた翌年の春、Dr.k.kこと樫本さんから
「森山さんが研いだペンポイントを拡大してHPに載せる?」と言われた。
何やらその為に、わざわざレンズや機材を新たに買い求めたらしい。
そして、樫本さんはフルハルターのHPに、“ミクロの世界”を提供してくれた。
「百聞は一見にしかず」 私の仕事が一目で判る。
出来上がったページを己の目で確認し、これまでの自分が変わった。
私の、フルハルターの恩人である。
この恩は一生忘れることはない。
最後に「剣先倶楽部」の作品を2点。
今回は剣先鞄2号だったが、2号ということは1号がある。
その1号が凄い。
日本一、世界一と私が思うあのFugeeの藤井さんの作品。
残念ながら、現物の撮影が出来なかったので、枻(えい)出版社 古山画伯著の『鞄が欲しい』の絵でご覧いただく。
枻(えい)出版社から古山画伯著の鞄の本が出版される予定である。
いつかは判らないが、その時にはまた是非ご覧いただきたい。
次に、“Kensaki Club 万年筆”
このクリップは18金無垢で、古山画伯デザイン
大きな弦楽器を連想させる。
最後に「剣先倶楽部」と「頑固職人の会」が今のまま続いてくれることを切に願っている。
by fullhalter
| 2009-07-10 12:07
| 剣先倶楽部