《ペリカン No.400NN》
モンブランも好きだが、ペリカンも好きである。
1930年代に造られた姿・形・色合いが最も好きなペリカン101N 先週までに3種ご覧いただいた。
今週は1960年代に造られた400NNの中で、とても珍しいと聞いた「マザー・オブ・パール」のセット。
このモデルは、2003年に知人から譲っていただいた内の一種で、
「特にシャープは珍しい。」と聞いていた。
コレクターや、愛好家は少ないモノ、珍しいモノに愛着を持つ傾向が強い、と私は思っている。
その気持ちは、私にも判る。
判る気がする…の方が正しいかもしれない。
私自身は、万年筆に限らず、「そのモノ」自身がどれだけ思いの深い、強い人達によって造られたかに価値を感じる。
それは造られた数の多い、少ないには関係ない。
私自身は、多い方が良いと思っている。
何故なら、私にも手に入る可能性が高いから。
手に入らなくても、他人が使っている姿を見ることができる可能性が高いからである。
「いいモノ」は、自分で持っていようが、いまいが、見ることができるだけで幸せ。
触って見ることができるだけで幸せである。
自分が惚れられるモノを持つこと、目にすること、触れられることは、筆記具に限らず「人を豊かにする」と、私は確信している。
他人の評価は関係ない。
自分自身が持っていて「人生を豊かにしてくれるモノ」を大切にしたい、大事にしたいものである。
では、画像をご覧ください。
1930年代に造られた姿・形・色合いが最も好きなペリカン101N 先週までに3種ご覧いただいた。
今週は1960年代に造られた400NNの中で、とても珍しいと聞いた「マザー・オブ・パール」のセット。
このモデルは、2003年に知人から譲っていただいた内の一種で、
「特にシャープは珍しい。」と聞いていた。
コレクターや、愛好家は少ないモノ、珍しいモノに愛着を持つ傾向が強い、と私は思っている。
その気持ちは、私にも判る。
判る気がする…の方が正しいかもしれない。
私自身は、万年筆に限らず、「そのモノ」自身がどれだけ思いの深い、強い人達によって造られたかに価値を感じる。
それは造られた数の多い、少ないには関係ない。
私自身は、多い方が良いと思っている。
何故なら、私にも手に入る可能性が高いから。
手に入らなくても、他人が使っている姿を見ることができる可能性が高いからである。
「いいモノ」は、自分で持っていようが、いまいが、見ることができるだけで幸せ。
触って見ることができるだけで幸せである。
自分が惚れられるモノを持つこと、目にすること、触れられることは、筆記具に限らず「人を豊かにする」と、私は確信している。
他人の評価は関係ない。
自分自身が持っていて「人生を豊かにしてくれるモノ」を大切にしたい、大事にしたいものである。
では、画像をご覧ください。
by fullhalter
| 2007-07-13 14:26
| 限定品万年筆