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フルハルター*心温まるモノ

第二十七話 曲輪造(まげわつくり)大西さんを訪ねて 

  7月8日(金) 店を臨時休業にし、漆の人間国宝、大西勲さんを訪ねた。

 以前、あの古山さんが、大西さんの取材をされ、その魅力を仲間に伝えたいという思いから実現した。

 8日の10時の常磐線 ひたち野うしく駅に、鞄のFugeeの皆さん(3名) 鳥取の万年筆博士(4名) そして、<ミクロの世界>の写真を撮ってくださったDr.K.K こと『剣先倶楽部』会長の樫本さん、古山さんに私の10名が集合した。
途中、地元の蕎麦粉を使った蕎麦屋での昼食をとって、いよいよ大西さん宅の訪問である。

 大勢での訪問にも係わらず、優しい笑顔で奥様が迎えてくださった。しばらく間があった後、国宝のお出ましである。
古山さんからは「変人」と聞いていた。
いつものことだが、職人に徹した人を彼は、「変人」と呼ぶ。以前彼の自宅でバーベキューパーティーをした時も、
「鞄のFugeeって聞いたことあるでしょう?彼が来るんだけれど、森山さんも来ない?変人同士で合うと思うよ。」と誘われた。
古山さんに変人と呼ばれることは、職人として認められた、いわば「勲章」だと私は確信している。

 案の定、大西さんはいいお顔をしていた。私にとっては、とても魅力的な方。
早速、二階にある仕事場で説明を受けたのだが、それは気が遠くなる作業であった。
「俺には到底できね~。」

 木では一番長持ちする檜を乾燥させ、小さな輪から、順次大きな輪をはめてゆく技法である。
輪を止める、そしてはめてゆく時の接着剤は、「飯」であり、「漆に白玉」だと言う。
以前から、古くからの職人の接着剤にはご飯が使われていたことは、知っていた。大西さんも同じ方法で、「絶対にはずれない」と言っておられると、聞いていた。
檜の曲げ輪、のこ、カンナ、小刀、砥石が無数にあった。

その曲げ輪を、何重にも接着して器を造り、漆を塗られるのだが、その輪の精度が普通じゃない。
ゆるくしてもダメ。きつすぎてもダメ。当たり前だが、丁度いい塩梅に造りあげてゆかなければならない。
それは、頭ではなく、長い期間をかけて体に染み込ませた結果の、成せる業であろう。

 曲げ輪を貼り合わせて造られた器に漆の塗り、乾かしては研ぎ、乾かしては研ぎ…何度も何度もの繰り返し。

 大西さんは、「研ぎ」はつらいと、言っておられた。面をきちんと出す為に何度も研がなければならない。
少しでも手を抜けば、その部分から剥がれてくる可能性を残してしまう。
大西さんの「絶対に剥がれてはならない」という強い思いが伝わってくる。

 大西さんとお会いしても、鞄のFugeeさんにお会いしても、誰のためでもなく、自分自身が納得出来る仕事を当然のようにしているだけ…という「思い」、人柄が自然に伝わってくる。
私はそんな方々にお会いする度に、「無」を感じる。

 世間では、そこまでしなくても、人は判らないだろうと思われている方が圧倒的に多い時代だと思う。けれど、そこまで足を踏み込んだ方は、決して戻れない。幸せなのか、不幸なことなのか。
失礼な話だが、人間国宝である大西さんですら、足を踏み込んでしまった人達の宿命は、「生活が大変なんだ」と、私は思う。ただ、それを補っても、余りある満足も得ている筈である。

 大西さんは一年で、二作品しか造れないと言う。
最後に、奥様がおっしゃていた。
「18年やっていますけど、40作品なんて出来ていません。」と。

 でも、私たちが見せていただいた3作品のうち、2作品は、「これ等は売りません。」と、きっぱりと言われた。とても印象的だった。

 2時間半程の大西さん宅訪問を終えて、私以外の方々は3台の車に分乗し、大内宿へ向かった。
夜の宴を楽しみに。
私一人、土曜営業の為に帰宅したのだが、その交通機関は、取手―下館間の“関東鉄道常総線”。最寄り駅は、大田郷であった。駅で待つこと30分。バスのような1両の電車に乗り、取手まで1時間15分。車窓から見える景色は、山、田んぼ、梨畑…。大西さんの人柄が心に残り、至福の時であった。

 至福の短い旅であった。
いつの日か、またお目にかかりたい。山崎夢舟さんとともに。

 8日の休業を知らずに、ご来店くださった方が居られたら、誠に申し訳なかった。
ただ、自分を見直す、いい機会であったし、心穏やかな時を過ごすことが出来た。
今も幸せを感じている。
by fullhalter | 2005-07-15 13:45 | 私と万年筆