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フルハルター*心温まるモノ

第十四話 使えば用具、愛でれば道具

  読売新聞の日曜版に佐治晴夫氏(宮城大教授・理論物理学)の「夢見る科学」が連載されている。7月21日の掲載記事は、非常に共感出来る内容だった。すでに読んでいる方もいらっしゃると思うが、HP上で紹介したくて、その旨を読売新聞本社に電話で尋ねたところ、全部ではなく、一部紹介であればという許可を得たので、ここにご紹介します。 (以下、記事よりの抜粋)

  現代の私たちの日常生活をささえている筆記用具の主流はボールペンです。 実用性から見れば、ボールペンやサインペンのメリットには計り知れないものがありますが、それでも万年筆のペン先や鉛筆がもつしなやかな弾力感には魅力を感じています。
  考えてみれば、何事もスピードと効率優先の現代においては、あらゆるものが道具というより、用具になってしまっているようです。
  ところで、今、私が使っている腕時計は40数年前に購入した昔ながらのゼンマイ時計、そろそろ分解掃除の時期になってきたので、先日、今では数少なくなったゼンマイ時計の修理ができる職人さんをかかえている都内のデパートにオーバーホールを依頼しに行ったときのことです。 時計を預けてから、売り場の間をすり抜けながらエレベーターホールまで歩いて、何気なく時計売り場の方を振り返ると、そこには、さきほどの職人さんが、私の姿を追うように立ったまま見送っていました。 それは、私の歩き方のくせを観察することによって、使用者にあわせた調整をするためだったと後で聞いてびっくり、なるほどこれが一流職人魂というものかと感動しました。
  カメラであれ、自動車であれ、あるいは鉛筆であっても、それらの役目が、与えられた機能を果たすことだけにとどまらず、それを使うこと自体が、そのまま“愛でる”ということにつながった時、用具は道具になるといってもいいでしょう。 この忙しい時代にあって、“愛でる”という感覚だけで物品を使用していては、時代のテンポについていけないのは当然ですが、たまには、ファーストフードよりもスローフードのように、時を少しだけ止めて、味わってみることも必要かもしれません。
  ペン先でも鉛筆でも、磨耗するということは、熟成へのプロセスであると同時に、終焉へ向かうプロセスでもあります。 だからこそ、この相反する性質が共存してあらゆる瞬間が意味をもつのでしょう。
      ( 7月21日読売新聞「夢見る科学」  佐治晴夫氏 )
  

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  7月21日の読売新聞 日曜版を見ていたら、久し振りに “ 愛でる ” という言葉を目にした。そこに目が止まった。心が惹かれた。フルハルターのお客様、またこのホームページをご覧の皆様には共感していただけるのではと思う。

  ボールペンは好きではないが、実用性能を認めていない訳ではない。現に送り状には私もボールペンを使っている(少しでも書き易いモノと、パイロットの1、6ミリを使ってはいるが)。しかし、万年筆の書き味には使うことによる磨耗により、熟成というプロセスがあり、それがボールペンとの決定的な違いであり、“ 道具 ” というモノなのであろう。

  ゼンマイ式時計の職人は、使い手に合わせた微調整をするという話は、時計好きのお客様から何度か聞いていた。万年筆の場合は、使い手の角度に合わせた調整が、より必要であると考えている。

  「世の中でもファーストフードからスローフードへという動きがみられます。能率重視、ファーストビジネスがよしとされる風潮のなか、フルハルターは、スロービジネス(こんな言葉でいいのでしょうか?)を邁進して頂きたいと思います」(フルハルター北海道兼極東支部長より)。以前ご紹介したこの一文を、記憶されている方も居られるだろう。そう思われている方が一人でも多く、そして、そんな時代が来ることを切に願っている。

  “ 愛でる ” ことが出来るモノに、出会えることを願っている方々。その方々のお役に立つことが出来れば、嬉しい。

  ― 使えば用具 愛でれば道具 ―、 自分の中だけに閉まっておけず、皆さんにお伝えしたかった。
     
by fullhalter | 2002-06-15 12:20 | 私と万年筆