<11> 開高 健氏 その6
――いったい、私が思うに、会社がいろんなことに手を出して、マルチになる。 客の好みと関係なしに資金の流動があって、買収・合併というようなことが着々と行なわれているんだけれども、クラフトマン・シップに憧れて、その頑固さを愛するわたしのような客もたくさんいるだろうと思いたい。 が、諸君はどうだ。
――かりにピエール・カルダンが車体の設計をしたら、いったいどうなる? 流体力学とか何とか、きちんと勉強してない人間がやっていいことのわけがないだろう。 が、世の中、そういうバカなことが容易に起こりうるように動いている。 売れるとなったら、何でもやるのが現代の会社っちゅうやつだ。 要するに、ゼニさえ儲かりゃどうでもいいってことらしい。 ゼニ・プラス・アルファがなければ、ホントのゼニは入ってこないはずなのに。 (1989年録)
前回と似たような内容だが、私は以前から職人仕事が好きだったので、共感してしまう。確かに買収だ合併だと聞くと、どうなっちゃうんだろうと思うことがある。この筆記具の世界でもパーカー・ウォーターマンという最も老舗と呼べる会社がジレットに買収され、更にサンフォードにと買収された。クラフトマン・シップを守り通すには、会社の規模が大きくなり過ぎてしまったのだろうか…。クラフトマン・シップを守り通すには、せいぜい数人で使い勝手を考え、欲しいと思わせる姿・形のものを造ってゆくしかないのだろう。テレビを見ると、「あれもおたくの会社」などとコマーシャルをしている。多角経営でないと企業は生き残れないのかも知れない。
消費者も製品に対して見る目を持ち、「いいもの」がそれなりの価格で売れる時代になれば、クラフトマン・シップも復活するのではないのだろうか。それには、消費者が製品を選択出来るような知識と同時に、製品に対しての愛情を、売り手側が持たなければならない。そうしなければ、いつまでもそんな時代はやって来ないだろう。
クラフトマン・シップの復活を祈り、「作家と万年筆」を完結する。全11話の一話一話は短いが、自分の中で長い間暖めてきた“言葉たち”なので、今回完結するにあたり、まことに感慨深いものがある。どれも私にとってとても大切な“言葉”だった。 読者の皆さんも、どこかで万年筆についての“名言”・“名描写”にめぐり会われたら、それをどうか大切にしていってほしい。
作家の皆さんありがとう。
開高 健さんありがとう。
by fullhalter
| 2002-05-04 10:53
| 作家と万年筆