<4> 藤本義一氏 その2
―― モノに愛しさを覚えると、モノが反応を示してくれるような気がする。ぼくの場合は職業柄、そのモノが万年筆であるということになる。
一度、この相棒の1本がテレビ局のロビィで姿を消したことがあった。あきらかに盗まれたのだ。ぼくは慌てた。捜した。見つからなかった。その2、3日は、まったく原稿が書けなくなった。そして、今、あの万年筆は何処で、どんな奴に使われているのかと思うと、口惜しさよりも哀しさが先に立つのだった。
友人は、「同じモノを買えばいい」といったが、同じ形で、同じ色で、同じ値段のモノは沢山あるだろうが、それらは、同じようなモノであって、決して、同じモノではないからである。
(1980年録)
万年筆好きで実際に何本、何十本と使っている方には、上記の「同じようなモノであって、決して、同じモノではないからである。」は、説得力のある言葉と実感できるのではないだろうか。
店頭に並ぶ同じメーカー、同じモデル、そして同じペン先の太さの万年筆達でも、決して同じモノはない。 それが相棒とまで呼べる程、使い込み慣れ親しんだ万年筆であれば、なお更である。
藤本さんにとっては、子育てをしている最中に行方不明になってしまった子供のようなモノだったに違いない。
by fullhalter
| 2001-10-06 11:42
| 作家と万年筆