第七話 酒井栄助さんをたずねて
私が酒井栄助という名前を知ったのは、モンブランの日本総代理店ダイヤ産業に入社した20数年前だった。当時、雑誌等で「手造り万年筆」として紹介されていた職人グループの方達がいた。
ペン先――兜木銀次郎 軸――酒井栄助 塗り――高橋吉太郎 仕上げ――土田修一。
……今思えば、ゴールデンカルテット。
明治の生まれだった兜木銀次郎さん、高橋吉太郎さんはすでに亡くなられたが、大正生まれの酒井さん、土田さんのお二人がお元気で「手造りインキ止め式万年筆」を造っておられる。
私が酒井さんのお人柄に触れることが出来たのは、1999年7月4日にオンエアーされたNHKハイビジョン<ハイビジョンギャラリー>“この素晴らしきモノたち――万年筆――” の中だった。
この番組で造り手として酒井栄助さん、長原宣義さん、セーラー万年筆天応工場、万年筆博士。書き手として書家の川西譲さん。画家として今回の酒井さん訪問に御一緒させて頂いた古山浩一さん。売り手として銀座伊東屋、そしてセーラー長原宣義さんのペンクリニック風景。スタジオには作家の松山猛さん、世界的コレクターのすなみまさみちさん、そして私というメンバーだった。
ビデオを入手するのは難しいかと思うが、見ると参考になる番組だと思う。ちょっと、NHKの宣伝が長すぎたかも知れないが、この番組の中でエボナイトを削り出す作業が写し出された後、酒井さんが「だいたい、もう手で挽いてるっていうのも時代遅れかも知れないけど、まあ、これしかないからやってますけどね。」と言われた。そのおっしゃり方がまさに職人の言い方で、70年もろくろ挽きをされてきた方の顔と心だった。
この番組の中で私が一番心惹かれたのが、このシーンだった。それ以来、直接お会いしたいと思っていたが、前回更新で申し上げた経緯を経て訪問が実現した。改めて古山さん、杉山さんに感謝したい。
さて、埼玉県に新座市の酒井さん宅を訪れた3人はまず、御一緒に昼食に出掛けたのだが、4人のメンバーには似合わないファミレスだった。酒井さんは「オレは肉は余り食わない。野菜がいいな。蕎麦をよく食うよ。」 これは、私の職人イメージにぴったり。1時間半程の昼食を終え、酒井さんの自宅に戻った。我々は残っていた作品を見せて頂いた。
3人はそれぞれ自分の気に入ったものを数本ずつ譲って頂いたのだが、その後が面白かった。あちらこちらに置かれてあった製品や半製品を見つけては、気に入った人が「酒井さん、これは譲って頂けますか?」 「これキャップが無いのですけど、気に入ったのでいいですか?」 やりとりがしばらく続いた。その時の3人は、オモチャ箱を覗き込む子供であり、駄菓子屋の中のガキのようだった。
作業中の酒井さん。 うしろは森山。
そうこうしている内に、酒井さんはろくろを挽き始めた。古山さんと杉山さんは横から、私は上から覗き込んでいたのだが、その手さばきの凄さ、素晴らしさにただただ魅せられ、言葉を失っていた。
セーラー長原さんのペン先研ぎが共通していて、熟練した職人のみが成せる見事な手さばきである。あっという間に、ボディだけだったものにキャップがつき製品になった。また3人が選んだものの中に、ペン先とペン芯が入る首軸の内径が太すぎるものがあった。これらもその棒を削り出し、首軸の中に埋め込んだ。そして今埋め込んだ棒のセンターに、ペン芯が入る穴を開け始めたのだが、3本あったその作業もあっという間の出来事で、まるで手品師。 熟練した職人の業は、まさに芸術である。
ろくろのチャックにかませたエボナイトの軸の削り出しが終り、切り落としているところ。
エボナイトの首軸にペン先、ペン芯の入る穴をあけているところ。
ろくろ挽きが終わった後は、ゆっくりとお話をさせて頂きながら、万年筆に合うペン先とペン芯を選んだ。ただそれらは、軸に組み込まれていないバラバラの部品。酒井さんに組み込んでもらっても良いのだが、我々はそれらを組み込む楽しさを味わうことにして、5時間あまりの訪問を終え、酒井さんの工房をあとにした。
今頃杉山さんは、ペン先、ペン芯の組込み作業に苦しみながら楽しんでいることだろう。勿論この作業も簡単ではないが、酒井さんが目の前で自分の為に造ってくれた万年筆達なので、酒井さんを思い出しながら……。最後に私が確認することを約束したので、安心して作業を楽しんでいることと思う。 またいずれの日か、新座を訪れることを夢みて。
左から、杉山さん、酒井さん、森山。
そちこちにある宝箱から宝を探し出しては酒井さんに確認しているところです。
ペン先――兜木銀次郎 軸――酒井栄助 塗り――高橋吉太郎 仕上げ――土田修一。
……今思えば、ゴールデンカルテット。
明治の生まれだった兜木銀次郎さん、高橋吉太郎さんはすでに亡くなられたが、大正生まれの酒井さん、土田さんのお二人がお元気で「手造りインキ止め式万年筆」を造っておられる。
私が酒井さんのお人柄に触れることが出来たのは、1999年7月4日にオンエアーされたNHKハイビジョン<ハイビジョンギャラリー>“この素晴らしきモノたち――万年筆――” の中だった。
この番組で造り手として酒井栄助さん、長原宣義さん、セーラー万年筆天応工場、万年筆博士。書き手として書家の川西譲さん。画家として今回の酒井さん訪問に御一緒させて頂いた古山浩一さん。売り手として銀座伊東屋、そしてセーラー長原宣義さんのペンクリニック風景。スタジオには作家の松山猛さん、世界的コレクターのすなみまさみちさん、そして私というメンバーだった。
ビデオを入手するのは難しいかと思うが、見ると参考になる番組だと思う。ちょっと、NHKの宣伝が長すぎたかも知れないが、この番組の中でエボナイトを削り出す作業が写し出された後、酒井さんが「だいたい、もう手で挽いてるっていうのも時代遅れかも知れないけど、まあ、これしかないからやってますけどね。」と言われた。そのおっしゃり方がまさに職人の言い方で、70年もろくろ挽きをされてきた方の顔と心だった。
この番組の中で私が一番心惹かれたのが、このシーンだった。それ以来、直接お会いしたいと思っていたが、前回更新で申し上げた経緯を経て訪問が実現した。改めて古山さん、杉山さんに感謝したい。
さて、埼玉県に新座市の酒井さん宅を訪れた3人はまず、御一緒に昼食に出掛けたのだが、4人のメンバーには似合わないファミレスだった。酒井さんは「オレは肉は余り食わない。野菜がいいな。蕎麦をよく食うよ。」 これは、私の職人イメージにぴったり。1時間半程の昼食を終え、酒井さんの自宅に戻った。我々は残っていた作品を見せて頂いた。
3人はそれぞれ自分の気に入ったものを数本ずつ譲って頂いたのだが、その後が面白かった。あちらこちらに置かれてあった製品や半製品を見つけては、気に入った人が「酒井さん、これは譲って頂けますか?」 「これキャップが無いのですけど、気に入ったのでいいですか?」 やりとりがしばらく続いた。その時の3人は、オモチャ箱を覗き込む子供であり、駄菓子屋の中のガキのようだった。
作業中の酒井さん。 うしろは森山。
そうこうしている内に、酒井さんはろくろを挽き始めた。古山さんと杉山さんは横から、私は上から覗き込んでいたのだが、その手さばきの凄さ、素晴らしさにただただ魅せられ、言葉を失っていた。
セーラー長原さんのペン先研ぎが共通していて、熟練した職人のみが成せる見事な手さばきである。あっという間に、ボディだけだったものにキャップがつき製品になった。また3人が選んだものの中に、ペン先とペン芯が入る首軸の内径が太すぎるものがあった。これらもその棒を削り出し、首軸の中に埋め込んだ。そして今埋め込んだ棒のセンターに、ペン芯が入る穴を開け始めたのだが、3本あったその作業もあっという間の出来事で、まるで手品師。 熟練した職人の業は、まさに芸術である。
ろくろのチャックにかませたエボナイトの軸の削り出しが終り、切り落としているところ。
エボナイトの首軸にペン先、ペン芯の入る穴をあけているところ。
ろくろ挽きが終わった後は、ゆっくりとお話をさせて頂きながら、万年筆に合うペン先とペン芯を選んだ。ただそれらは、軸に組み込まれていないバラバラの部品。酒井さんに組み込んでもらっても良いのだが、我々はそれらを組み込む楽しさを味わうことにして、5時間あまりの訪問を終え、酒井さんの工房をあとにした。
今頃杉山さんは、ペン先、ペン芯の組込み作業に苦しみながら楽しんでいることだろう。勿論この作業も簡単ではないが、酒井さんが目の前で自分の為に造ってくれた万年筆達なので、酒井さんを思い出しながら……。最後に私が確認することを約束したので、安心して作業を楽しんでいることと思う。 またいずれの日か、新座を訪れることを夢みて。
左から、杉山さん、酒井さん、森山。
そちこちにある宝箱から宝を探し出しては酒井さんに確認しているところです。
by fullhalter
| 2001-05-19 13:07
| 私と万年筆