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フルハルター*心温まるモノ

『こだわり文房具』

私はカタログ、あるいはカタログ雑誌を見るのが好きで、書店でそれらのものが目につくとページをパラパラとめくり、そこに万年筆が出ていれば、まず十冊のうち九冊は購入する。

 いくら万年筆の写真が出ているからといっても、十冊のうち一冊は買わない。買わない一冊はどういうタイプのものかというと、あまりにお座なり、単に万年筆の写真だけ、それも広く知られているメーカーのいま売られている製品だけしかのせてないものは、それこそ編集の努力が見られないので買わないのである。

 いま私の手元にある、万年筆の本、写真集、ムックといったものを列挙すると次のようになる。
  
  中央公論社の『世界の文房具』、『文房具の研究』、『文房具の世界』、『文房具の魅力』。
  株式会社ステレオサウンドの『文房具事典』。
  東京アドバンク編『ステイショナリーと万年筆のはなし』。
  平凡社カラー新書、梅田晴夫『万年筆』。
  読売新聞社、梅田晴夫『万年筆』。
  青土社、梅田晴夫『万年筆』。
  文研社『筆記用品百科』、『現代筆記具読本』。
  講談社、文・中園宏、写真・名鏡勝朗『世界のアンティーク万年筆』などである。
 
 などであると書いたのは、たとえば★ワールドフォトプレス『モノ・マガジン』一九八六年四月号「特集文房具大図鑑」といったものも何冊か持っているのだが、それまでいちいち書名を書いているとキリがないからである。
 
 世の中には万年筆の好きな人がけっこう多いようである。
 
 万年筆の好きな人がけっこう多いようではあるけれど、昔のように、万年筆を背広の内ポケットにさしている人は、近ごろはほとんど見かけなくなった。
 
 まして、人前で万年筆で字を書く人というのは、皆無といっていいくらい見なくなった。
 
 それが私には残念でならない。
 
 もっとも、そういう私にしたところで、日常携帯する筆記具はボールペンになってしまったし、事務用文書はボールペンかサインペン、あるいはポールぺんてるを使用するようになって久しいから、他人のことをあれこれ言うつもりはない。
 
 万年筆といえば雑誌『特選街』の一九八二年四月号「《筆記具》見つけた、感動した、この一本」に、私はパイロット万年筆エラボーを紹介したことがある。
 
 全国万年筆専門店会とパイロットで共同開発したという、万年筆エラボーは、パイロットから販売されていたが、パイロットでは一切宣伝していなかった。
 
 その存在を私が知ったのは、八王子の万年筆専門店「金ペン堂」の主人安田氏にすすめられたからで、私の文章が『特選街』に掲載されてから、万年筆の各種の写真が出ている雑誌などには、たいてい「エラボー」も出るようになった。
 
 そのことは、必ずしも私が雑誌に「エラボー」のことを書いたためだけではないにしても、私にとっては心たのしいことてあった。
 
 心たのしいといえば、「エラボー」の原稿を書くために、私はパイロットの京橋の本社に行き、「エラボー」の開発を直接担当した大坂氏から話を聞き、大坂氏は私の持参した「エラボー」のペン先をキッチリ調整してくれ、「エラボー」がさらに書きやすくなったことなどもいまに忘れがたいことである。
 
 文芸春秋から出ている池波正太郎著『夜明けのブランデー』には「万年筆」という文章がある。

 商売柄、万年筆は四十本ほど持っている。
  
 ともかくも、原稿紙にペンが軋む音がするようでは駄目だ。そうした万年筆で仕事をしていると、てきめんに手が疲れる。肩が凝る。気分も散る。
  
 モンブラン、ペリカン、シェーファーなどの万年筆の中で、いちばん、私の手になじむのはモンブランで、本数も多い。
  
 毎年、年の暮れになると、使っていた万年筆の大掃除をして、やすませてあった万年筆も出し、来年に使うペンをきめる。
  
 今年の私は、ほとんど、モンブランを使わなかった。
  
 万年筆の職人として、「知る人ぞ知る……」岩本止郎さんがつくった万年筆五本を使用している。岩本さんは、もう八十に近いはずで、いまも元気で某デパートの一隅に自分のコーナーをもち、仕事をしておられる……と、おもっていたところ、すでに亡くなられたそうな。(後略)

 某デパートというのは東京・八重洲の大丸のことで、私自身、池波さんのこの本を読むまで、岩本さんが亡くなられたことは知らなかった。因みに『夜明けのブランデー』が発行されたのは昭和六十年十一月二十五日である。
 
 実は私も岩本さんの作った万年筆を一本持っている。もう何年前になるか、太字でインクの流れのいいやつを下さいと頼んで、岩本さんが「これなんかどうでしょうか」と選んでくれたものを購入したことがあったのである。キャップ、軸とも黒いエボナイト製て、ペン先は十四金のものである。
岩本さんの万年筆は、私の望みどおり、実に実にインクの流れの潤沢な書き味の申しぶんないもので、万年筆は。ペン先のタッチばかりでなくインクの流れがよくなくては話にならないと思うようになったのは、岩本さんの万年筆を使うようになってからのことであった。
 
 ところで、池袋の西武デパートの万年筆売場で私は二度掘り出しものを見つけた。一度目はモンブランの1246というキャップ、軸ともに金張りのペン先は十八金の傑作万年筆であり、もう一度はあのパイロットのノック式のキャップレス万年筆であった。
 
 モンブランの1246という万年筆は私が香港でたまたま見つけたのだが、日本のモンブラン総代理店ダイヤ産業にも在庫がないということを確認していた。いまから六年か七年前のことである。
 
 香港で1246を買ってきて半年か一年ぐらいたったころ、たまたま池袋の西武の万年筆売場をのぞいたら金ピカのモンブラン1246が旧定価二万五千円であったのである。
 
 もちろん私はそれを買った。さらにその後静岡のディスカウントショップで、私は三本目の1246にめぐりあいそれも購入した。こちらは一万七千五百円であった。香港で買ったのは八千円だった。
 
 パイロット万年筆がキャップのないノック式の万年筆を発売したのは昭和三十八年のことである。たしかに一時期その斬新なアイディアによりたいへんな話題になったパイロットキャップレスという万年筆は、いつのまにか製造を中止し、市場から姿を消してしまった。
 
 私も昔はキャップレスを一本持っていたのだが、それもいつのまにか消えてしまった。折りにふれて私はパイロットキャップレスをさがしてみたのだが、まったくどこの万年筆店でもノック式のあのパイロットキャップレスは姿を見ることがなかった。
 
 さきごろあてもなしに池袋西武の万年一筆売場をのぞいてみたら、ショーケースの上に旧定価で販売すると断り書きがしてあって、私がさがしまわっていたパイロットキャップレスが五本並んでいたのである。
 
 私は昔自分が持っていたのと同じ型のノック式万年筆を一本、旧定価二千円で手にいれた。昭和四十年ごろの二千円というのは、いまと違ってずいぶん高いなという気がしたものである。
 
 私は男たるもの、曰く因縁のあるものだけを身の回りにおくべきだという考えを持っている。別に男たるものだけでなくてもいい。女たるものでも一向かまわないし、子供たるものでもいい。
 
 曰く因縁のあるものとはどういうものかといえば、とにかく自分にとってこれていいと言いきれるものでなくてはならないということになる。
 
 万年筆で私の曰く因縁のあるものといえば池波正太郎氏が五本所有している、また私も一本所持している岩本止郎さんの作った万年筆がそうであるし、パイロットのエラボーもそうだし、同じパイロットのノック式キャップレスもそうである。モンブランの金張り1246もそうである。

 因縁があるといえば「八王子金ペン堂」の主人安田氏が私に、もういまから十年以上前、エラボーよりさらに三年ぐらい前のことだから十二、三年前にすすめてくれたモンブラン74という万年筆もその一本である。

 私はモンブラン74は二本持っている。

 なぜモンブラン74を二本持っているかといえば、金ペン堂で二本購入したからなのだが、モンブラン74を一本購入して家に帰った私は当然のことながら、金ペン堂で味わったのと同じ書き味かどうかを、原稿用紙、ワラ半紙、チラシの裏、破いたカレンダーの裏のすべすべしたところなどでぐるぐるとマルを書いたり、自分の名前を書いたりして確認した。

 当時、つまりいまから十二、三年前、すでに製造を中止していたというモンブラン74は、私の万年筆観を一変させるほどの、それこそおどろくべき万年筆であったのである。

 私の万年筆観を一変させるおどろくべき万年筆とはどんなものかというと、手に力をまったくいれることなく、ただにぎってペン先を紙に接すれば、勝手にペン先が動いて字が生まれてくるといった感じの、山口瞳のいうスラスラヌラヌラ書けてインクが手につかない、私にとって理想の万年筆だった。

 値段は高かった。モンブラン74はキャップが金張りのペン先は十八金の金ペンだが、これは当時モンブラン146と同じ価格で一万八千円していた。

 いまモンブラン146は三万五千円が定価で、アメ横あたりへ行けば、もちろんもっと安く買えるけれど、それはモンブラン146はいまも製造され販売されているからのことである。

 十三年前、私が買ったときすでに製造を中止していたモンブラン74は、当時でさえ、たまたま私が金ペン堂主人安田氏に無理な注文を出しそれならこれはどうでしょうかと陳列棚ではなくて、その下の引出しから取り出すような品物だったのである。

 私の無理な注文というのは、紙質を問わずどんな紙にも同じように書けて、インクがよく流れて、手に力をいれなくても書ける太字のものというのであった。
 
 私の要求をモンブラン74は完全に満たしてくれた。
 
 安田氏は軸の色は黒とエンジと二色ありますが、太字のペン先はこの二本だけです、どちらにしますかと私に尋ねた。
 
 私はオーソドックスな黒にした。
 
 十三年前の一万八千円である。もしいまもモンブラン74が製造されていて、万年筆売場に並んでいるとすれば、モンブラン146と同じだとして三万五千円。やはり高いと思う。
 
 しかし、私は理想の万年筆にめぐりあえたわけである。この機を逃してなるものか。私は次の休みの日にまた八王子横山町に出かけた。もう一本のモンブラン74を買うために。
 
 そのようにして私は理想の万年筆を二本持つことができるようになり、いまもその二本を使って原稿を書いている。

 モンブラン74と同じ軸、同じペン先で、キャップが金張りではないエボナイトのものがモンブラン14だが、私はその後これも一本さがしあてた。

 またモンブラン74よりひとまわり小さい型のモンブラン72、モンブラン72と同じ型でキャップ、軸とも金張りのモンブラン82といった万年筆も、ずいぶんあちこちさがしまわり香港で見つけたときは、とにかくほっとしたことを覚えている。

 私はパーカー、シェーファー、ラミー、パイロット、セーラー、ペリカンといった万年筆を使ってきた。

 ダンヒルの銀製のキャップ、軸、金ペン、デュポンの銀製のキャップ、軸、金ペンの万年筆も持っている。
 
 ご存じの方も多いと思うが、ダンヒルは万年筆機構はモンブラン製であるし、デュポンのそれはペリカン製である。
 
 両者とも見ばえもいいし、書き味も悪くない。ただ、私にとっては軸がモンブラン74とか、モンブラン146なんかに比較すると細い。それが気になるので、ダンヒルやデュポンの万年筆で長時間字を書くということは少ない。
 私はいま人に読んでもらう原稿はすべて万年筆で書くことにしている。

 原稿というのは、編集者に見てもらって、さらにいまは写植が多くなったという話だが、写植を打つ人に見てもらうためのものである。

 他人に自分の書いた文章を読んでもらうわけだから、字は読みやすく書かなければいけないし、鉛筆やボールペンでは失礼にあたるのではないかというのが、私が万年筆を使う理由のひとつである。
 
 それだけではない。
 
 二つめの理由は、もっぱら私個人の側のものなのだが、これは私にとってゆるがせにできないものである。
 
 それは、さきほども書いたように、とにかく私は筆圧が弱いというのか低いというのか、字を書くときに手に全く力をいれることをしない。しないような書き方をしている。
 
 それは万年筆だから可能なことで、その万年筆というのも、スラスラヌラヌラ書けてインクの流れの滞りのないものでなければならない。
 
 消しゴムで書き直せるからというので鉛筆を使ったり、ボールペンで原稿を書いたりすると、まず手が疲れて肩が凝るばかりでなく、サラサラと原稿を書くことが私にはできなくなってしまうのである。
 
 それでは仕事にならない。
 
 水性ボールペンとかサインペンあたりなら、まあ書き味は若干というか大いにというか違うけれど、力をいれないで書くこともできる。
 
 ところが、私は水性ボールペンやサインペンの使い捨てという性格がこんどはどうにも気にいらないのである。
 
 そこで原稿は万年筆ということになる。
 
 近ごろは、ワードプロセッサで原稿を書くというのか作る人もふえてきているという話だが、ワープロにはさまざまの機種があり、またメーカ-によって漢字変換の方式も異なっている。
 
 私自身もワープロは所持していて、ワープロで文書を作ることもある。しかしこれはあくまで文書を作るであって、文章を書くというのではない。
 
 ワープロも時間をかけて機械に慣れ、英文タイプライターと同じくらいの速さでキーを打てるようになれば、また話は別かもしれない。だがどうにもそうしたいという情熱がわいてこないのである。
 
 ワープロがいい道具だということは私も認める。けれど私は文章を書くのには、原稿用紙と万年筆を使いたい。
 
 だから、しばらくの間私は万年筆で原稿を書くつもりでいる。
 
 私がいまとにかく一番ほしい万年筆は何かと問われるなら、それはモンブラン84の太字だと答えるしかない。
 
 要するにモンブラン74と同じ形で、キャップばかりでなく軸も同じく金張りの万年筆がモンブラン84なのだが、また、そのモンブラン84よりひとまわり小ぶりのモンブラン82は私は持っているのだけれど、私はとにかくモンブラン84にめぐりあいたいと思っている。
 
 どこかにモンブラン84はないかなと思って折りにふれてさがしてはいるのだが、何しろドイツのモンブランの本社にもとっくになくなっているという万年筆だから、おいそれと姿をあらわしてはくれない。
 『世界のアンティーク万年筆』には、モンブラン84の写真がのっているから、中園宏氏はモンブラン84を所持しておられるのであろう。
 
 私がモンブラン84を折りにふれてさがしだしてから、もう十年が経過した。日本国内ではまずモンブラン84が中古であっても姿を見せる確率というのはほとんどない。
 
 香港やシンガポールの文具店にもなかった。
 
 こうなるとあとはドイツ、フランス、イギリスの文具店か、アメリカ各地の文具店か、そういったところをさがすしかない。
 
 もちろん私はそうするつもりでいるが、これはいまのところつもりだけで実現させるまでに、しばらく時間がかかるのはやむをえないことだと思っている。
 
 ただ、私は自分が古本をさがし出す経験からして、あきらめないでじっくりさがし続けていると、思いもかけないときに思いもかけない場所で、あたりまえのように、あるいは当然そうなるべき運命であったように、どうしても見つからなかった本と出会うことがある。それはたった一回とかそういったものではなくて、時期がくると、何だこんなに簡単なことだったのかと思うくらい、見つからなかった本に一日のうちに二冊もでくわすことがある。
 
 その経験からしても、私はモンブラン84には必ず、どこかでぶつかることがあるだろうという予測を信じているのである。
 
 それにしても、人と人との出会いというのは、まことに人知によっては測りがたいものがあるが、人とモノとの間においても同じことは言えるのではないかと思う。
 
 そういったことを、私は万年筆というモノによってずいぶん学んできたという気がする。
 
 そのもとは何なのか、自分でもよくわからないが、とにかく私は万年筆が好きだということがあげられるだろうと思う。
 
 いや万年筆ばかりでなくて、鉛筆であれ、ボールペンであれ、サインペンをはじめとするマーカーであれ、また毛筆なんかも私は好みがうるさいし、あれこれ言うほうである。
 
 そのなかでも万年筆に対しては、思いこみが激しいということなのだろう。
 
 深沢七郎は昔、まだエルビス・プレスリーが元気だったころ、深沢七郎にとってエルビス・プレスリーは神様だと言ったことがある。
 
 私は私にとってモンブラン84が神様だとは思わないが、深沢七郎がエルビス・プレスリーについて言った気持ちはわかるような気がする。
 
 本気で好きになって、それをずっと持続していると人でもモノでも、その当人にだけ、他の人問には決して見せない姿なり、あるいは素顔といったものを見せるようになるのではないだろうかという気がしてならない。
 
 モンブランで私が欲しいと思っているのはNo.84ばかりではなくて、1246と同じ型で1266というキャップ、軸とも純度925のスターリングシルバーでできている万年筆もそうなのである。ペン先は18金でその上にロジュームというプラチナ系のメッキをしてボディの色と同じにしてあるものだ。
 
 これも私はカタログでしか見たことはない。値段はいくらかというと、昭和五十二年に発行された文研社の『筆記用品百科』によれば、モンブラン1266は物品税込みて三万四千五百円と出ている。いまから十年前の価格である。
 
 同じ表にモンブランの146とか149の値段も出ているが、146は一万八千円、149は二万五千円である。
 
 いま146は三万五千円、149は四万五千円が定価なのて、149は十年前の値段の一・八倍ということになる。それにあわせてみると、1266は六万二千百円になるが実際はもっと高めの値段になるような気がする。
 
 私は1246というキャップ、軸とも金張りの万年筆を三本持っているので、単にキャップと軸が純度925という銀製の万年筆をどうして欲しいのかといわれると、それこそ他人が持っていないからだとしかいいようがない。
 
 それといくらお金を出したところで、モンブラン1266の製造はとっくの昔に中止しているしストックもないわけだから、さがしようもないし手に入れることも困難なわけである。
 
 私としても欲しいのはヤマヤマだけれど、まあ手に入れるのはむずかしいだろうとずっと思ってきた。84をさがすのと同じくらいむずかしいと確信していた。
 
 さきごろ久しぶりで香港に出かけたとき、九竜半島先端の尖沙咀(チムシャチュイ)という繁華街の土産物屋やデパート、文房具店を一日中のぞいていたとき、そのうちの一軒に1246と1266の二本のモンブランが、金色と白金色に輝いてショーケースの中で私を招いていた。
 
 値段は両方とも八百十六香港ドルだという。私が立ち寄ったときのレートは一香港ドルは約二十円だった。どうして八百十六などとハンパな数字なのかは知らない。
 
 私はモンブランの1246と1266の両方を取り出してもらい、ペン先の太さを確認した。
 
 金張りの1246は細字だった。これはいらない。千分の九百二十五という純度の銀製モンブラン1266は太字である。
 
 いくらにできるのかと交渉してみると、一万三千五百円ならいいと店の中国人はいう。それでもよかったのだが、もう五百円安くならないかと私がねばると中国人は「オーケー、オーケー、イチマンサンゼンエンネ」と諒承した。
 
 もはやアンティークの世界に属している万年筆が、いかに香港とはいえたった一万三千円で手に入ったのである。私は大いに満足した。
 
 あきらめてはいけないということなのであろう。
 
 私にはヨーロッパのどこかの文房具店で、それはロンドンかパリかハンブルクか、またはもっと小さな街なのか、文房具店ではなくて古道具屋になるのかわからないが、いまも私のあらわれるのを心待ちにしているモンブラン84の金ピカボディの姿が目にうかぶ。
 
 もうしばらく待っていてくれ。そのうち必ず行くからなと私は未見のモノに対してメッセージを送り続けているところである。 

鳥海 忠氏著 『こだわり文房具――知的作業の道具をさぐる――』
by fullhalter | 2001-02-03 15:31 | 万年筆について書かれた本