<3> 藤本義一氏 その1
――今5本のペンは、交替に使用して、なるべく均等に減るようにこころがけるのだが、それが同じようにはいかない。1本ずつ性格がある。それは、まるで人間を相手にしているようでもあるし、子供を育てているような気にもなる。 (1981年録)
私は二十数年作家の方々の万年筆に対する考え方に接してきた。
多くの作家の方々の中で、万年筆の本質については開高健さんと藤本義一さんが双璧ではないかと私は感じている。
同じメーカーの同じモデルの同じペン先の太さでも、それぞれ個性があり、同じではない。使い込んでゆけば同じ様になるかと言えばそうでもない。子どもが5人いて、同じ様に接し育てても、皆それぞれが違う個性を持ち、それぞれの魅力を持つ。
私は調整師であり、万年筆の使い手ではない。長く使い、言い換えれば、育ててゆくと、どの様な変化が起こるか、自分の手で実感することはむずかしい。私の仕事は生まれ出る時に少しでも親との相性が合うように、育てやすいようにすることだと思っている。
ただ、使い手つまりお客様との会話の中で、一本ずつ、かなり強い個性を持っているのが万年筆だと教えられてきた。それを蓄積して、今では偉そうに、万年筆とはなんぞやなどと言っている。使い手が職人を育て、職人が使い手を育てる関係、いいなと思う。
万年筆とはそれ自体が、かなり強い個性を持ち、藤本さんが言われる通り、子どもを育てるようなところがある。その日によって、同じ万年筆が従順な子どもの時もあれば、反抗的な子どもになる時もあることを、経験された方も居られるのではないか。
だから万年筆は楽しい。
by fullhalter
| 2001-01-01 19:00
| 作家と万年筆