第二話 モンブラン輸入元への入社
ほかにNo.142も胴軸が折れて修理依頼をした。その内に親切にアドバイスしてくれた修理の担当の方が「今、修理する人が不足して困っているんだよね。」と言われた。何ということか。当方浪人生活も1年近いし、いい加減世間体も悪いし、いくら独身とはいえ定職がないあせりもあった。思いきって「私浪人なんですが、前の仕事はカメラの製造で、手先の仕事は慣れています。上司の方に入社させていただけないか聞いてもらえませんか。」と言った。当時モンブラン社の大きなイベントがあったりして、2~3ヶ月かかったが、運良く入社したのは1977年4月11日であった。決定した時はうれしかった。飛び上がった。
入社当時はまだ輸入元ではペン先調整をしていなかった。先輩から不要のペン先を頂き、いろいろなものを使ってペン先調整の練習をした。オイルストーン・ペーパー・ラッピングフィルム・和砥石・床屋で使っているカミソリ研ぎのコードバン等々。この練習をしている時に、最高のペーパーに出合った。外注でペン先調整をしてくれていた職人さんに教えられ、和紙に手塗りのペーパーですでに作られていなかった”サブローヤギシタ”の名の入ったもので、問屋の在庫全てを買ってしまった。これは幻と言っていたが、その後使ったどのペーパーよりもなめらかに仕上げられる、なくてはならないまさに幻であり、現在でもそのペーパーで最後の仕上げをしている。
入社2年の1979年4月に研修の為のモンブラン社出張があり、その研修でペン先のマイスターMr.パインから、各太さごとの研磨を教えていただいた。5種類の研磨材が1つの機械についていて、どのようにその研磨材に当て、最終的にはどのような形状に仕上げるのか、基本を1週間かけて研修したのであった。
モンブランの輸入元にいた17年間に数回のモンブラン社出張があったが、モンブラン社の人達にも、私が万年筆好きであることが浸透していて、出張の度に古い万年筆をいただいたり、モンブランの社員のコレクターを紹介してくれ、そのコレクターから数十本の古い万年筆やシャープを買うことができた。
最初の研修の時に、修理部門のあるデスクに1950年代のボールペンやシャープが4本あった。「これすごくいいですね。」と言ったら、その責任者は持っていっていいよと言った。しかし、その席には持ち主が居ないので「持ち主がいないのに。」と言うと、「この持ち主は、もう戻って来れない病気なのでかまわない。」 申し訳ないやら、有り難いやら。
その後の出張の時には、その責任者が私の顔を見るなり、「一寸待っててくれ。昔母親にあげたシャープペンシルがあった筈だから、持ってきてやるよ。どうせ母親は年だからもう使わない。」と言って、車で取りに行ってくれた。そんな思い出と共に、それらは今でも私の手元にある。