人気ブログランキング | 話題のタグを見る

フルハルター*心温まるモノ

第二話 モンブラン輸入元への入社

  私は1976年にそれまで勤めていた会社を退職していた。すでに30歳を過ぎていたにもかかわらず、何のあてもなく退職してしまった、とんでもない奴だった。結局1年間浪人生活をしたのだが、その間漆が好きだったので漆を取り扱う会社の面接を受け落ちたり、皮製品の手縫い職人と思いながら実現せず、失職して10ヶ月近く過ぎた頃、昔アルバイト代で買ったモンブランNo.14のキャップが割れてしまった。週刊誌で見たモンブランのサービスステーションで直してもらうことにした。何しろ当方浪人中、時間はいくらでもある。浜松町の世界貿易センタービル23Fのサービスステーションを訪ね、キャップの交換を依頼したところ、No.14ではなく、金張りのNo.74のキャップの方が良いとのアドバイスに従い、記念のNo.14はランクアップして、No.74となった。今も大切に私の手元にある。
 
  ほかにNo.142も胴軸が折れて修理依頼をした。その内に親切にアドバイスしてくれた修理の担当の方が「今、修理する人が不足して困っているんだよね。」と言われた。何ということか。当方浪人生活も1年近いし、いい加減世間体も悪いし、いくら独身とはいえ定職がないあせりもあった。思いきって「私浪人なんですが、前の仕事はカメラの製造で、手先の仕事は慣れています。上司の方に入社させていただけないか聞いてもらえませんか。」と言った。当時モンブラン社の大きなイベントがあったりして、2~3ヶ月かかったが、運良く入社したのは1977年4月11日であった。決定した時はうれしかった。飛び上がった。
  
  入社当時はまだ輸入元ではペン先調整をしていなかった。先輩から不要のペン先を頂き、いろいろなものを使ってペン先調整の練習をした。オイルストーン・ペーパー・ラッピングフィルム・和砥石・床屋で使っているカミソリ研ぎのコードバン等々。この練習をしている時に、最高のペーパーに出合った。外注でペン先調整をしてくれていた職人さんに教えられ、和紙に手塗りのペーパーですでに作られていなかった”サブローヤギシタ”の名の入ったもので、問屋の在庫全てを買ってしまった。これは幻と言っていたが、その後使ったどのペーパーよりもなめらかに仕上げられる、なくてはならないまさに幻であり、現在でもそのペーパーで最後の仕上げをしている。

  入社2年の1979年4月に研修の為のモンブラン社出張があり、その研修でペン先のマイスターMr.パインから、各太さごとの研磨を教えていただいた。5種類の研磨材が1つの機械についていて、どのようにその研磨材に当て、最終的にはどのような形状に仕上げるのか、基本を1週間かけて研修したのであった。

  モンブランの輸入元にいた17年間に数回のモンブラン社出張があったが、モンブラン社の人達にも、私が万年筆好きであることが浸透していて、出張の度に古い万年筆をいただいたり、モンブランの社員のコレクターを紹介してくれ、そのコレクターから数十本の古い万年筆やシャープを買うことができた。

  最初の研修の時に、修理部門のあるデスクに1950年代のボールペンやシャープが4本あった。「これすごくいいですね。」と言ったら、その責任者は持っていっていいよと言った。しかし、その席には持ち主が居ないので「持ち主がいないのに。」と言うと、「この持ち主は、もう戻って来れない病気なのでかまわない。」 申し訳ないやら、有り難いやら。

  その後の出張の時には、その責任者が私の顔を見るなり、「一寸待っててくれ。昔母親にあげたシャープペンシルがあった筈だから、持ってきてやるよ。どうせ母親は年だからもう使わない。」と言って、車で取りに行ってくれた。そんな思い出と共に、それらは今でも私の手元にある。
by fullhalter | 2001-01-01 18:55 | 私と万年筆