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フルハルター*心温まるモノ

『趣味の文具箱vol.2』発売のお知らせ

アナログで洗練された道具として、楽しい趣味の世界としてとことん追求する。また趣味と実用を兼ね備えた手帳を追求するとのこと。
内容の一部を紹介する。


◆ 特集1/いま人気の万年筆ブランド大研究
ペリカン~ 往年のモデル~現行万年筆の歴史と系譜を探る。
モンブランの象徴「149」の構造~ ここでもお客様が(?)
ファーバーカステル伯爵コレクション~ フルハルターでもお奨めのモデル

◆ 特集/趣味と実用の「手帳」を考える

◆ その他
万年筆はじめての1本の選び方
趣味のヴィンテージ万年筆 等々

なお実際に出版され、皆様に是非見ていただきたいと思うページがあれば画像で紹介する予定である。
# by fullhalter | 2004-10-08 11:18 | ムック本紹介

剣先倶楽部 vol.1

Dr.K.Kとは、樫本桂三さんと言われる方で、ホームページの<ミクロの世界>の写真撮影をして下さり、画像として取り込んで下さった「ホームページの恩人」のお一人。
それまでパソコンが余り好きでなかった私は、今一歩このホームページに思いを入れることが出来なかったが、この画像を見たとたん、
「自分が研ぎ出したニブポイントの形状が誰にでも判るぞ……。」
君主豹変する…ではないが、突然、そして素直に好きになれた。
そのすぐ後の会合で、
「何か森山さん変わったね。」と言われたが、
(あそこまで自分を表現出来る画像が出来りゃ~変わって当たりめェ~だろう。俺はアレを待ってたんだから。)
と心の中で叫んでいた。

さて、前置きが長かったが、その樫本桂三さんが、アメリカ・フランス・ドイツの人々を巻き込んで万年筆を造られた。

Kensaki Club Premier
Bexley Pen.USA-’03
01/38 KSK

と胴軸に彫り込まれた万年筆で、ペン先にも<Kensaki >の刻印がある。
この万年筆は『剣先』ブランド。
なぜ剣先なのか少々長い物語を書くことにした。

樫本桂三さんと始めてお会いしたのは、2000年7月28日。
あるデパートで長原さんのほてい竹の万年筆を買われた樫本さんは、当時少々左捻れで使われていた為に、そのペン先が樫本さんにとってベストコンディションではなかった。
「高価な万年筆なので自分に合わせてくれないか。」と、フルハルターを訪ねて下さった。
「でもこれ長原さんが研がれたペン先ですから、お断りしないで研ぐのは、はばかれますね。一寸長原さんに電話でご了解していただけるか、確認してみます。」
これが樫本さんとの始まりだった。

「始まりだった。」というのは、普通はその万年筆1本調整して終わる筈が樫本さんは万年筆の使い手としての達人である。
達人であるが故に、次から次へと欲求が湧いてくる。
その結果、ちょくちょくご来店下さるようになったのだが、お気を使われて時々有名な和菓子を土産に下さった。ある時、
「森山さんて甘いもの食べるの?」
「いえ、私は甘いもの全く受け付けないのですが、家族が大好きなので樫本さんのお蔭で今まで食べたことのないようなものをいただき少々鼻の高い思いをさせていただいています。私の腹は満たされていないんですが、心は充分満たされているっていったところですかね。」
「やっぱりそうなんだ。じゃ~何が好きなの?」
「私って変なんですよね。好きなモノで直ぐに浮かぶのは、タコとかイカなんですよね。剣先するめなんか飲み屋で私一人おかわりして笑われるくらい好きなんですよね。」

次のご来店の時に、剣先するめが土産だった。
その内にメールが「剣先同好会本部長」・「剣先同好会支部長」で来るようになった。
それから半年位経った頃だろうか。
「今度同好会から倶楽部にする。」と突然連絡があった。
流石樫本さんのこと、「第一回定例会決定事項」に「趣意書」を添えて2000年3月1日、場所は横浜「うかい亭」にてと(「うかい亭」のことは当然知っていると思われていた様子の樫本さんだったが、こちとら貧乏人、そんなとこ知っている訳ねェ~だろう。)書かれてあった。

趣意書には発起人としてあの長原宣義さんの名があり、樫本さんの車で長原さんとご一緒させていただいた。
さっき「流石、樫本さん」と申し上げたが、「第一回定例会」以降3年半経った今も第二回はないし、倶楽部の会員もあの古山画伯が4人目なのかなァ~と思うくらいで増えてはいない。
(何だ俺と同じじゃねェ~か。あの時は流石と思ったのに。まだ”ゼクス・フェーダー・クラブ”の方がましかもしれねェ~な。)
ごめんなさい。樫本さん決してけなしている訳ではありません。
世間の人から見ると何かよく判らない倶楽部っていいですよ。このまま霧の中の「剣先倶楽部」で行きましょう。

この特別に製造された万年筆<Kensaki>の命名は、この様な長い年月を経て誕生したのである。
ところで、ケンサキ≒ペンサキ  Kensaki≒Pensaki
またケンサキスルメの形とペン先の形って似ていると思われないか。
スルメと思うとダサいかも知れないが、「剣先倶楽部」や「剣先」と書けばかっこいいと思うのだが。

次週は、万年筆の画像をご覧いただきます。
# by fullhalter | 2004-10-08 11:09 | 剣先倶楽部

ペリカン社都市シリーズ「上海」

フルハルターの夏休みとの関係もあり、遅くなりましたが、ペリカン限定品 世界の都市シリーズ『上海』が入荷いたしましたので画像をご覧いただきたい。今回の『上海』は前回のアテネの色違いといったところ。

ペリカン社都市シリーズ「上海」_e0200879_10582395.jpg


ペリカン社都市シリーズ「上海」_e0200879_10583841.jpg


ペリカン社都市シリーズ「上海」_e0200879_10584923.jpg


模様はアテネとほぼ同じ。気に入られただろうか。
更にアップの画像をご覧いただこう。

ペリカン社都市シリーズ「上海」_e0200879_10591819.jpg


いずれにしても、色合い、模様は実際に見ないと判らない。
いつものことだが、お近くの販売店でご覧ください。

価格: 42,000円(本体価格)
# by fullhalter | 2004-10-01 10:56 | 限定品万年筆

革小物vol.13

4月7日、自宅でK’s Factoryの鴻野正好さん、平出孝さんとお会いした時からの念願だった工房を訪ねることが出来た。

8月14日、約束の1時に自宅我孫子から2駅先の取手駅に着いた。間もなくデザイナーの平出さんの顔が。鴻野さんの従兄弟が運転する車で営業の水尾さんを含め4人で工房・鴻野三兄弟の実家へ向かった。30分程経った頃だったろうか、「着きました。」 広い敷地の正面に立派な実家、そして手前右側に工場、工房らしき建物。鴻野三兄弟の長男敏之さん、三男弘好さんが笑顔で迎えてくれた。

お二人とも店で一度お目にかかっていたので、直ぐに打ち解けた。広い座敷に通されお茶を飲みながら雑談をしたのだが、WILD SWANSのトップページにあるボストンバッグ(トランク?)を私に見せる為にわざわざ運んで下さった様で、じかに手で触ることが出来た。
でかい、もの凄くでかい。何ヶ月も船で旅をする時に使われるような大きさだ。ああ、これがトップページで見たあのバッグの実物だ。一人で1ヶ月以上もかけて造ったという。持ってみると、とても握りやすい取っ手に造られている。これがK’s Factoryの皆さんのモノ造りの哲学だと。使い手の使い勝手に、己の哲学・造り手の哲学の融合である。

1時間位過ぎた頃だろうか。
「森山さん、造るのを見ますか。」 待ってました。
まず、お父様が使われていた工場の中へ。大きな機械が設置されていて、「抜き」・「すき」を見せていただいた。特に「すき」は機械の厚さの表示は出るのだが、その革によって表示通りの厚みにはならないと言う。所謂”勘”を働かせないといけない。これが手造りをしている全ての造り手に求められることであり、最も重要なところだと私は思っている。

いよいよ、製品化の工程である。
場所を移し、家の一間の「すき」・「縫い」・「磨き」の工房へ。私は革製品は好きだが、詳しくはない。ただ、前にも申し上げたことなのだが、詳しくない私でもWILD SWANSのコバの仕上げが逸品であることは判る。フルハルターの革に詳しいお客様も
「今どきはこんな仕上げをしているところはないだろうね。」と。
実際にコバの仕上げを見て、「やっぱりね。」と思った。裁断された革たちを「貼り」・「縫い」・「コバ仕上げ」である。
そのコバの仕上げは、ひとつの製品で何箇所にも及ぶ。まず、カンナをかけ、更に特殊な鋏で仕上げた後に磨きなのだが、この磨きが凄い。黒・チョコは筆で黒を塗った後、ボール盤に付けられた丸い木製の工具で磨く。更に光沢を出す為に塗り、磨きの繰り返しである。それがひとつの製品で何箇所にも及ぶ。こんな手のかかることを今どきやっているところなどある筈がないと実感させられた。そしてそれがWILD SWANSである。

この3月にお客様のA氏から3年余り使った財布を見せて貰った時に、『モノが物語る』を感じたWILD SWANSである。いつまでもその精神、心を持ち続け、造り続けて欲しいと願うばかりであった。最後に三男の弘好さんが
「森山さん、もしオリジナルのペンケースの製造工程を見たいのなら朝8時に来て夜8時位迄を予定して下さい。」 参りました。オリジナルペンケースを造るのは、その位時間がかかるということ。あのコバの仕上げを見れば納得。その後常磐線取手駅から2駅先の佐貫というところで今回始めて会った鴻野さんの従兄弟坂本さんともご一緒に、6人で楽しいひと時を過ごさせていただいた。ありがとう。

最後に、これもお会いした時から造りますと申し上げていたWILD SWANSの看板が出来上がったので、画像をご覧ください。

革小物vol.13_e0200879_10372962.jpg

# by fullhalter | 2004-09-24 10:35 | 皮革製品

モンブランNO.72 

 1977年(昭和52年)モンブラン日本総代理店 ダイヤ産業(株)に入社した。
その当時、私が憧れていた1960年代に造られたモンブラン製品が僅かであったが残っていた。


 私に万年筆の良さ、姿・形の美しさ、そして人としてどう生きるかを教えてくれた、影響を与えてくれた人が居る。
大学生の時のアルバイト時代の先輩で、当時これが不思議な人だった。貧しい私にはとても手が出ない万年筆たちを次から次へと持ってくる。パーカー51・61・VP等々。それがいつの間にかなくなっている。ある時、
「あのパーカーは、どうしたのですか?」と尋ねるとその先輩は、
「あ~、あの人が好きだって言ったからあげたよ。」
いとも簡単に言う。1960年代に造られた金張りキャップの美しいパーカーの万年筆たちをである。
「何だ、この人は。」
「俺には理解出来ね~」と心の中で呟いた。その先輩の心の中を探る為に聞いた。

「何であんな高価で、しかも今は入手が難しい姿・形の美しい万年筆たちを簡単に人にあげてしまうんですか?」
「森山君、造り手が拘りを持って、心を込めて造ったからあんな姿・形をしているんだよ。ああいうモノを探す喜び、見つけた時の喜び、君に判るかな。ああいうのを見つけた時、他の人に買われてしまうのがとっても僕には許せないんだよね。」
「じゃ~何故あんなに簡単に人にあげてしまうんですか?」
「自分だけのモノにしてしまったら、自分だけ、たった一人の喜びでしょう。でも、それが本当に好きだと言う人にあげれば2人の喜びになるでしょう。更に思いを込めて造った人達の喜びも考えたら、一人の喜びが大勢の喜びになり、それが僕の喜びになるんだよね。」

 参った、本当に参った。
今時(と言っても、三十数年前の話だが)こんな人がいるんだ。
この先輩からは(”私と万年筆”のところで既に書いているのだが)モンブラン モンテローザ(No.042) No.142をいただいた。

 さて、ダイヤ産業入社後に話を戻そう。
その先輩の影響を少なからずも受けていた私は、
「こんなにいい製品を『こんなのあるから買ってみるか。』というような人に買われるのは許せない。」と心から思っていた。給料は殆ど60年代の製品達に代わっていた。今考えてみると、私も病気だった。でもいい病だよな~と本気で思っている。

その当時沢山買ったNO.72の画像をご覧いただくことにしよう。
ただ、ダイヤ産業入社後に始めて買ったNO.72は私自身で遊んでしまい、本来の姿・形から変わってしまっている。本来の姿・形はNO.72よりひと回り大きい8月27日更新のNO.74と同じなので参考にして欲しい。

遊んだ箇所は、天ビス・尻軸・そして首軸である。
モンブランNO.72 _e0200879_1618304.jpg


モンブランNO.72 _e0200879_16184112.jpg


モンブランNO.72 _e0200879_1619020.jpg

本来の天ビスは角ばっているのだが、丸くしてしまった。

モンブランNO.72 _e0200879_162074.jpg

尻軸も丸く研ぎ出した。

モンブランNO.72 _e0200879_16362787.jpg


 本来のNO.72と比べ、この遊んでしまったNO.72どう感じていただけたのだろうか。私は本来のNO.72も遊んだNO.72も大好きである。
次回からは本来のマイコレクションに戻る。
# by fullhalter | 2004-09-17 16:16 | マイコレクション