フルハルター*心温まるモノ

カテゴリ:作家と万年筆( 14 )

<14> 佐々淳行氏

――中山知己さんからのご紹介――

  
――内ポケットには香港以来使い込んだパーカーの万年筆に七二年版能率手帳。左手首ではロレックス・オイスターパーペチュアルのブラック・フェイスが時を刻んでいる。……私は決して縁起かつぎではない。だが何度も修羅場をくぐり抜けて生きのびてくると、そのとき身につけていたものがラッキーな、運をよびこむお守りみたいに思えてきて、妙な愛着を覚えるものだ。……とにかく航空機事故や何かで突然花と散るとき、このロレックスもパーカーも私の死出の旅路のお伴をすることになることはまちがいない。

   佐々淳行著『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文藝春秋1996年)より


  あさま山荘事件が起きた時、自宅で身支度をしているときの描写です。
彼のメモやスケッチは書物のカバーや扉で紹介されていますが、
あの厳寒の中、よく書けたものと感心します。
一体零下何度ぐらいまで書けるものなのでしょうか? 
ボールペンでは書けなくなるものでしょうか? 興味あるところです。

  佐々氏の近年の著作はこれらの詳細なメモ・スケッチ類をもとに書かれていますが、
それが万年筆によるものだというのが私には面白い。
そして死出の旅のお供としてのパーカー。
いずれも印象深く、私の大好きな描写のひとつです。 (中山知己)
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by fullhalter | 2003-12-06 11:06 | 作家と万年筆

<13> 星 新一氏

―― 横浜市 T.K.さんからのご紹介――

――下書きは鉛筆かボールペンでやる。 アイデアを模索する段階で、ここが最も苦しい。 だがそれがすみ万年筆で清書する時は、これは楽しい。 たいていの神話では、はじめに神が出現し、もやもやしたところに天地を作り、最後に仕上げとして人間をお作りになったことになっている。 その人間を作る時の気分と似たようなものではないかと思う。 だから、清書の途中でインキが切れ、字がかすれたりすると不快になる。 楽しみをじゃまされたようなのだ。 しかし、モンブランの万年筆には軸に透明な窓がついており、その心配がなくてありがたい。 きめのこまかいくふうである。 ちょっとした発明ではあるが、それによってどれだけ多くの人の不快さを消したか、はかりしれないことだろう。   

        星新一著『気まぐれ博物誌』(角川文庫)より


「私の記憶に残る万年筆に関する文章をご紹介致します。星新一氏は1,000作を超える短編小説で有名ですが、エッセイも多く上記の作品はその一つです。軽い文体、奇抜なアイデアからなる結末が魅力で、高校生の一時期文庫で入手できる全ての作品を読んだ覚えがあります。

  私はこのエッセイで星新一氏が透明の窓がついたモンブランを使っていることを知り、デパートの陳列ケースで1つだけ台に傾けておかれている太目のそれらしい万年筆をみつけて、“欲しい、使ってみたい” と思いましたが、同時に値札を見て、“これは子供が持つものではない”と諦めた記憶がよみがえります。    (横浜市 T.K.)

※ この『気まぐれ博物誌』は、いくつもの章によって構成されており、そのなかの一つとして「万年筆」というタイトルの文章が収録されています。残念ながらこの本は現在絶版となっており、書店で手に入れることができませんが、図書館などでなら手に取ることができると思います。上に抄録した部分以外に、司令官と市長の“剣とペンの対決”、アメリカの推理作家ウールリッチの短編『万年筆』などについて描かれています。興味のある方はさがし出して読んでみられて下さい。
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by fullhalter | 2002-11-23 16:19 | 作家と万年筆

<12> 池波正太郎氏

※ 川崎市 中川さんから、下記文章を添えてご紹介がありました。

  池波正太郎氏の著作の中に『男の作法』(新潮文庫刊)という本があります。この本は、『ビジネスマンが読んでおくべき110冊の本』(渡部昇一監修三笠書房刊)の中でも、読んでおくべき1冊の中に選ばれています。池波正太郎という、稀代の粋人の人生訓ですから、『~110冊の本』でも絶賛です。以下のように述べられています。

  ――「著者のこうしたものの見方・考え方、人生観は、時代を超えた普遍的な力強さをもっている。本書は、読む時期が早ければ早いほど、その人の人生を豊かにしてくれるはずだ。」

  実際、僕がこの本に出会ったのは大学に入りたての頃、約10年前のなのですが、折に触れ、読み返しています。 これまでに読んだエッセイの中では極上のものの1つです。 

  この『~110冊の本』では、紹介されているそれぞれの本のハイライトともいうべき、最も大切な部分が抜粋されているのですが、この『男の作法』からは、下の部分が抜粋されています。

――万年筆だけは、いくら高級なものを持っていてもいい。それ(万年筆)は男の武器だからねえ。刀のようなものだからねえ、ことにビジネスマンだったとしたらね。だから、それに金を張り込むということは一番立派なことなんだよね。

                   池波正太郎 『男の作法』より


……まさに「万年筆」の部分なのです。 全編が必読とでもいうべきこの本の中の、それでも一番大事な部分が「万年筆」!この部分を抜粋した、『~110冊』の本の著者にセンスを感じます。

  確かに、当時大学生だった僕には万年筆の大切さは、実感はできなかったのですが、この部分は強烈な印象として残っていました。あれから10年、長原さん、森山さんたちの作品に出会い、ついに池波正太郎の言葉が実感としてわかるようになったのです。嬉しいことです。「あるいはもっと早く出会いたかった」とも思いますが、それよりもやはり、「もっと遅くなくてよかった。30歳という、社会人として、まさにこれから、という時期に万年筆の世界を知ることができて本当に良かった」と思っています。


※ 『ビジネスマンが読んでおくべき110冊の本』は、現在『ビジネスマン“最強”の100冊 』とというタイトルに改題され、販売されています。
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by fullhalter | 2002-11-16 11:01 | 作家と万年筆

<11> 開高 健氏 その6

――いったい、私が思うに、会社がいろんなことに手を出して、マルチになる。 客の好みと関係なしに資金の流動があって、買収・合併というようなことが着々と行なわれているんだけれども、クラフトマン・シップに憧れて、その頑固さを愛するわたしのような客もたくさんいるだろうと思いたい。 が、諸君はどうだ。


――かりにピエール・カルダンが車体の設計をしたら、いったいどうなる? 流体力学とか何とか、きちんと勉強してない人間がやっていいことのわけがないだろう。 が、世の中、そういうバカなことが容易に起こりうるように動いている。 売れるとなったら、何でもやるのが現代の会社っちゅうやつだ。 要するに、ゼニさえ儲かりゃどうでもいいってことらしい。 ゼニ・プラス・アルファがなければ、ホントのゼニは入ってこないはずなのに。  (1989年録)


  前回と似たような内容だが、私は以前から職人仕事が好きだったので、共感してしまう。確かに買収だ合併だと聞くと、どうなっちゃうんだろうと思うことがある。この筆記具の世界でもパーカー・ウォーターマンという最も老舗と呼べる会社がジレットに買収され、更にサンフォードにと買収された。クラフトマン・シップを守り通すには、会社の規模が大きくなり過ぎてしまったのだろうか…。クラフトマン・シップを守り通すには、せいぜい数人で使い勝手を考え、欲しいと思わせる姿・形のものを造ってゆくしかないのだろう。テレビを見ると、「あれもおたくの会社」などとコマーシャルをしている。多角経営でないと企業は生き残れないのかも知れない。

  消費者も製品に対して見る目を持ち、「いいもの」がそれなりの価格で売れる時代になれば、クラフトマン・シップも復活するのではないのだろうか。それには、消費者が製品を選択出来るような知識と同時に、製品に対しての愛情を、売り手側が持たなければならない。そうしなければ、いつまでもそんな時代はやって来ないだろう。

  クラフトマン・シップの復活を祈り、「作家と万年筆」を完結する。全11話の一話一話は短いが、自分の中で長い間暖めてきた“言葉たち”なので、今回完結するにあたり、まことに感慨深いものがある。どれも私にとってとても大切な“言葉”だった。 読者の皆さんも、どこかで万年筆についての“名言”・“名描写”にめぐり会われたら、それをどうか大切にしていってほしい。

  作家の皆さんありがとう。
  開高 健さんありがとう。
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by fullhalter | 2002-05-04 10:53 | 作家と万年筆

<10> 開高 健氏 その5

――「昔からのクラフトマン・シップを守っている世界の名品の会社ったら、もうモンブランだけか」
と言ったら、ある男がカラカラと笑い、
  「ご冗談でしょ。 あれはこの間、ダンヒルに買収されちゃった。 城を明け渡したんです。 ま、モンブランの技術は、そのまま引き継がれるでしょうけどネ」
と言った。 ここでも、例外ではなかった。 


――わたしは非常に寂しかったな。 モンブランはクラフトマン・シップを守ったがために経営上で苦しくなったんだろうが、それが悲しいんだ。 ブルータス、お前もか。   (1989年録)

開高さん、「ブルータス、お前もか」、お気持ち良く判ります。私もクラフトマン・シップが好きで、今でもひとりひとりに合わせた手研ぎで使い手の方にお渡しています。

  それはモンブランの責任とは言い難い、時代の流れで致し方のないことなのだろうと思う。 

  1979年始めてのモンブラン社出張の時の営業の社長チャンボアさんも、技術の社長ドクター・ロイスラーも、創始者の二代目でモンブランをこよなく愛しておられた方達だった。しかしモンブランに限らず、クラフトマン・シップを守り続け、会社とその製品に愛情と誇りを持って続いている会社が、現在いか程に存在しているのだろうか。

  日本の筆記具メーカーも本業と思える筆記具の売上は1桁のパーセントだと聞いたことがある。モンブランの肩を持つ訳ではないが、モンブランは男性ブランドの道を選んだだけのこと。

  開高氏がご存命なら「ブルータス、お前もか」よりももっと悲しんだことだろうが、時の流れは止められない。
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by fullhalter | 2002-04-27 11:54 | 作家と万年筆

<9> 開高 健氏 その4

――出会いからとたんに好きになれるというモノはないのである。飼いならし、書きならし、使いならしていくうちに好きなのとそうでないのとが出てくるのであって、それにやっぱり忍耐がどうしても求められる。忍耐してもいいという気になれる物とそうでない物とがあるんであって、それは究極のところ、ブランドではありますまい。  (1982年録)


  前回の「つれあい」と同じような意味であろう。
  本当に好きになって情がわいてくるまでには忍耐が必要であり、家柄やブランドではないということだろうか。

  大好きな開高氏に逆らうつもりはないのだが、私は初めから好きになってもらいたいと思っている。その為にゆっくりとお客様とお話をし、その方のライティングスタイルを見てどんな万年筆が合うのか、またその方の字体からペン先の太さについてもアドバイスしている。

  「お客さまの字でしたら、極細が似合うと思いますよ。」とか、「お客様の字でしたら極太が似合いますよ。これがペリカンの3Bのサンプルですから、お試しになってください。いい字じゃないですか。そうは思われませんか。手紙や葉書を貰った方はきっと喜ぶと思いますよ。」と言った具合に。

  こんな会話をしながら、メーカー・モデル・色・ペン先の太さを決めていただき、その方の角度や筆圧そしてお好みに合わせて販売している。お客様に初めの出会いから好きになっていただける万年筆をお渡し出来ることを願って、今後も努力したい。
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by fullhalter | 2002-04-20 11:34 | 作家と万年筆

<8> 開高 健氏 その3

――万年筆というものは何十年と同棲してそのあげくようやくなじみあえる器物なのだから、そうであるなら、ちょっと夫婦関係に似たところがあり、そうであるなら、夫婦関係は50歳をすぎたらおたがい慈悲で接しあえるようになるという話があるくらいなのだから、歳月の錬磨に待つしかありますまい   (1982年録)


  今回の開高健氏は万年筆を夫婦関係になぞられておられる。

  <フルハルターのポリシー>のページで、「万年筆と女房は人に貸すな」ということわざは日本固有のものかと思っていたが、ドイツにも同じことわざがあったと紹介した。開高氏の言っておられることは、正にそのことであろう。

  また、藤本義一氏は万年筆との関係を、夫婦関係でなく、親子関係になぞられている。(作家と万年筆第三話) このお2人は同じことを感じておられたのではないだろうか。

  歳月の練磨の後に、万年筆は指の1本に化していくのであろう。
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by fullhalter | 2002-03-29 11:13 | 作家と万年筆

<7> 開高 健氏 その2

――精妙をきわめた自動装置で何万本、何十万本と一つのブランドの万年筆が製造されるのに、使用者の指と化し果てるまでになじみきれるのは1本か2本あるかなしであるという事実は興味が深い。

  しかも、K氏にとってのその1本がO氏にとってはしばしばどうしようもないシロモノと感じられるのがふつうであるという事実もまた興味深い。 ヒトには個性があり、癖があり、好みがあって、そこにこめられた心は不可侵であり、小さな聖域であって、どうしようもない性質のものである。   (1982年録)


  皆さんも万年筆メーカーは自動装置によって何万、何十万と製造していると思われているのではないだろうか。 確かにそうして作られる部分もあるが、ペン先は自動装置により何万、何十万など作れない。 ペン先にニブポイントを溶接した丸玉(イリジウム)からすべて手による研ぎ出しはしていないが、かといって自動装置によって次から次へと飛び出してはくれない。 同じ筆記具といえどもボールペンとは全く違う工程があり、それがペン先だ。
  万年筆好きで今までに多くの万年筆を試したことがある人ならお判りだろうが、同じメーカーの同じモデルの同じペン先の太さのものでも太さ・書き味・インクの出方に同じモノはない。 それだけ人による手仕事の部分が多いという証明だ。 悪く言えば「バラツキがある」だが、良く言えば人それぞれの好みに合うものを選べるということだ。
  人は顔・指紋が違うように筆記角度・筆圧そして好みが違う。 どこのラーメン屋へ行っても同じ味ではつまらない。 自分に合う味のラーメン屋に出会った時の喜びはその人にしか判らないが、その味が他の人にとっても美味いとは限らない。 
  万年筆も同じだ。 ということを、開高さんは言っておられるのではないのだろうか。
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by fullhalter | 2002-02-16 11:05 | 作家と万年筆

<6> 開高 健氏 その1

――何本かやってみたのだが、生き残って連れ添ってくれたのはこの1本だけである。
  それだって、特にきわだった顔つきで登場したのではなく、あれやこれやと使っているうちにいつとなく生き残ってくれたのである。 (1982年録)


万年筆について述べられた作家の方々の中でも、私が最も万年筆の本髄を言い表していると思っているのは、開高 健(かいこう たけし)さんである。
  開高さんが言われている言葉の奥にある深さは、なかなか理解してもらえないのではないかと私は思う。
  道具として常に使われていた開高さんだからこそ、万年筆の奥の深さを体で感じられ、それを言葉で表現できたに違いない。
  これから6回に渡って紹介してゆくので、是非楽しんで欲しい。
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by fullhalter | 2001-12-15 11:34 | 作家と万年筆

<5> 森 瑤子氏

――紛失思えば、夜も眠れず。
  「以前使い込んだ万年筆をなくしたとき、小説が書けなくなったのね。手に馴染んだものでないと書く気分になれないというか。そういう風になるの怖いから、その後はしばらく、替えのきくサインペンなど使っていたけど」
  でもやっぱり、どーしても欲しいモンブラン。わざわざ店へまで足を向けるほどじゃないけれど。でもエアポートで、ピカッと輝いて微笑みかけられちゃあ、買うしかない。
  「使い始めるとね、そりゃあもうホントにいいの。太いので使いやすい。特に私は筆圧が強く、原稿の枚数が多くなるとぶっつけるように書くので、この太さ(No.149)が都合いいみたい。悩みのペンダコも、いつの間にか消えたのよ」
  「やっぱりいいものはいいと、使ってみてつくづく思った。初めは手に慣れてないせいかインク漏れして、そのことを日経新聞に書いたのね。そうしたらすぐにモンブランの会社の人が修理に来てくれて」
  以来、快調絶好調。
  「でもね、あんまり自分の手にしっくりなっちゃうと、次に、なくしたらどうしようという不安が出てくるわよ。そう簡単には代りは見つからないから。常に2本持って交互に使って、まさかに備えようかなんて考えたりね。実際そうしている作家のヒト、多いわよ」
  との森さんの言葉に、なったらなったで悩みはつきぬと悟った次第である。


  余談だが、このインタビュー記事の載った1年か2年か後に、森事務所の女性秘書の方から、当時モンブランに勤務していた私に電話があり、受話器の向こうで「森が叫んでいるのよ。万年筆がなくて原稿が書けないって。申し訳ないけど同じ物をすぐに届けてもらえないかしら」森さんの筆記角度に合わせて調整しすぐに届けたことがあった。ただ、このインタビューの万年筆はなくなったということではなく、まったく別の遠方に置いてあったとのことだった。


  ご存じのことと思うが、森さんは1993年7月永遠の眠りにつかれた。 あまりにも早すぎる別れを悼みつつ、心からご冥福をお祈り申し上げます。 
  森さんの万年筆が、もう戻ることのない主を待って引き出しに眠る姿を思うと、胸が痛む。 
  いや、ちがう、森さんのことだ、きっと天国でも愛用の万年筆たちを握りしめて、書き続けておられるに違いない。  
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by fullhalter | 2001-12-01 10:39 | 作家と万年筆