第十六話 特別更新『今日からフルハルターも決断の10年目』
ダイヤ産業での品質管理、アフターサービスについては、技術部門ということで、経営者が良く理解していない部分も多く、治外法権で私自身の万年筆に対する哲学を実践することを許されていた。 市場へ出荷する万年筆は、全てライティングテストをしてからでないと認めなかった。 サービスステーションでは使われる方の筆記角度や筆圧、好みに合わせて無料で万年筆の調整をし、「ここがあるから、安心して買えるよ」と、信頼関係を築くことが出来た。
一方でモンブラン社が、当時から今日のブランド方向へ進んで行くであろうことは、推測出来た。 私はブランドが悪いなどとは全く思っていないが、職人の仕事を続けたかった自分には、合うとも思えなかった。 それでも一生サラリーマンで終えるとしか考えていなかった私は、1993年3月から新たなモンブラン日本総代理店に籍を置き、悩みに悩んだ。
ブランドが自分に合わないとはいえ、自分には他に何が出来るのか。 2人の小学生の親である私は、これから10年以上も生活を維持出来るだろうか。 悩みは深く、大きい。 悩みに悩んだ末の結論は、親であると共に自分らしい生き方、つまり万年筆職人ペン先研ぎ一筋で生きていくことだった。 モンブランのアフターサービスでの経験から、万年筆は使う人固有の書き方(筆記角度・筆圧・好み)があり、ボールペンと違い、誰にでも合うモノではない。 使い手に合わせた調整をしてきた経験を生かして、オーダーメイドだと言い過ぎだが、プチオーダーとでも言うべき万年筆専門店を開店することを決意した。
万年筆専門店を開店するにあたり、3つの大きな柱を課した。
1. 使う方に合わせて調整した万年筆が、他で買われたモノと全く違うと
思っていただける書き味に仕上げられる技術力。
2. 万年筆のことをゆっくり気楽に相談出来る店、今の時代に反する時間を気にしない、
「時間が止まった空間」を味わうことが出来るような店でありたい。
3. 3番目が<決断の10年目>である。
今更、万年筆専門店など……が世の常識。 殆どの方は、2~3年もてばいい方じゃないと思っていたに違いないし、他の人が店をなどと言い出せば、私自身もそう思っただろう。 「石の上にも三年」ということわざがあるが、万年筆だったら、10年と決意した。 世の中に認知される前に止(や)めることは出来ない。 けれど、いつまでも、だらだらと続ける訳にもいかない。 『フルハルター』という万年筆専門店で、ひとり、ひとりの方に合わせた調整をした万年筆が、社会に存在する意味があるのか。それを判断するのに、どうしても10年間は続ける。 これが3番目に己に課した柱である。
来年の今日がその判断の日である。 しかし、決して廃業したいと願っている訳ではない。 10年でも20年でも続けてゆくことを、切に願っているのだが、世の中が、社会が、続けてゆくことを許してくれるのか、来年の今日が決断の10年である。 そしてこれからは、毎年この日10月30日が、決断の日と心している。
この9年間で、いろいろな方との出会いがあった。 業界の方では、セーラーの長原さん。 この方のお蔭で、クロスポイントを始めとするおおよそ万年筆とは思えないようなペン先との出会いがあった。 フルハルターオリジナルチタンを供給してくれるエイチ・ワークスの長谷川晃嗣さん。 どの時代の、どこの万年筆の修理も受け付けるパイロットナミキの皆さん。 技術研修をさせていただいた伊東屋の方達。 使い手の方々としてモンブラン時代から存じ上げている“万年筆倶楽部 フェンテの会”の中谷でべそさん。 『4本のヘミングウェイ』を出版された古山浩一さん。 またフルハルターでご購入いただいている多くのお客様。 ご自身で“フルハルター北海道兼極東支部長”と名乗ってくれる医師の方。 熊本からご夫婦と2歳の娘さんで来られる大学の先生等々。 大勢の方から勇気をいただいた。 そして何よりも、9年間のフルハルターの歴史が着実に刻まれた。
来年の今日、私にとっても家族にとっても、そして支持していただいている皆様に対しても、いい決断の日に出来るよう、今日からの1年を大事にしたいと思っている。
そんな思いでいた私に、10月8日に放送されたNHKの『プロジェクトX』の中に、私を勇気づけてくれる言葉があった。
「止めてはいけない。 止めるから失敗するのだ。 いいと思ったら続けなければ。 」
フルハルターも止められない。 それは、私自身ががいいと思っているから。