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フルハルター*心温まるモノ

モンブラン146森山モデル 

 私はモンブランの万年筆を四十本所有しているが、そのうちの五本は146というナンバーの製品である。 モンブランの誇るマイスターシュテュックには軸の太い順から149、146、144の三種類がある。 このマイスターシュテュツクの原型は一九二四年に売り出されたということだから、およそ七十年間にわたるロングセラーということになる。 私は146とともに144も三本持っているがいちばん軸の太い149は今は所持していない。 昔は一時期、購入し使用していたこともあった。 しかし、私の手には149はどうにも軸の太さが合わなくてイヤになり友人にやってしまった。 本当なら、146も私には軸がやや太い気がするので、146と144のあいだの太さのものがあればいいのだが、そういう製品はマイスターシュテュツクにはない。 で、146を使用しているのである。

 たしかにマイスターシュテュック146はペン先のしなり具合といい、インクの流出のスムーズさといい、インク吸入機構が七十年間変化のないピストン式だということといい、万年筆の傑作だと多くの人がいうのは素直に納得できる商品だと私も思う。
 
 私が持っているモンブラン146のうちの二本はペン先が特別に柔らかいものになっている。 ペン先の太さはMとBだ。 特別に柔らかいとはどういうことかというと、現在販売されている146につけられているペン先ではなくて、一九四〇年代の後半、つまり第二次大戦が終了したころ、モンブラン146に装着されていたペン先というのが、モンブランの日本総代理店ダイヤ産業に何本か残っているという話をダイヤ産業の森山信彦氏に聞き、無理をいってそのペンを頒けてもらい調整してもらったことがあるからである。 このペン先の柔らかさに近い書き味の万年筆といえば私の持っているもののなかでは、パイロットエラボーの中字のものしか思いあたらない。
 
 残る三本のモンブラン146のペン先はMのものばかりなのだが、このうちの二本は最初からMだったのではない。 BBという太さのものとBという太さのものを、森山さんによってMに削ってもらったいわくつきのものなのである。 森山モデルとは森山信彦氏によって新たにBBなりBからMに再生した万年筆という意味が込められているのである。
 
 もう八年前になるが、光文社文庫で『こだわり文房具』という本を出してもらったとき、私はモンブラン万年筆のデッドストックを探しに香港やシンガポールに出かけたことを書いた。 それを読んだ森山さんから連絡があり、私の持っているモンブラン万年筆のペン先を私の書き方に合わせて調整してくれるというのである。 私は訪ねてこられた森山さんの前で住所と氏名を何回も何十回も書いた。 それを見て森山さんは私の書きぐせを見抜いたのであろう。 当時私が所持していたモンブラン万年筆十教本は一ヵ月ほどしたら、どれもこれも、万年筆というのはこんなにも書き味のなめらかなものなのかと思うほど良好な状態のものになって私のところに戻ってきたのである。
 
 私は万年筆に対する森山さんの熱意に驚きいったいどういうわけで、こういう状態のペン先に調整することができるのかと森山さんに事情を聞いた。 私自身はモンブランばかりでなくほかのメーカーの万年筆も相当数持っている。 万年筆好きな人間だと自認している。 同じように森山さんも万年筆好きなのだが、その度合いが私など比較にならないくらい激しいのである。 なにしろ森山さんはモンブランの万年筆が好きでたまらなくて、ダイヤ産業に入社し、サービス部で万年筆の修理・調整を職業にしてしまったというのである。
 
 職業がらといってしまえばそれっきりではあるが、森山さん自身がまたモンブラン万年筆のコレタターとしては当代きっての人であることも何回か話を聞いているうちに判明してきた。 日本のモンブラン愛好家に少しでも書きやすい万年筆を使ってもらいたくて森山さんはこの二十年間に、何万いや何十万という本数の万年筆の調整を仕事として続けてきたというのである。
 
 その森山さんにいわゆる森山モデルの話を聞いたのはいつごろのことだったか。 モンブランのペン先のBとBB、これは太字、極大字のペン先の略称なのだが、それを持っている人はわかると思うがBあるいはBBのペン先というのは、ペン先が紙に正しい状態で接していればBなりBBの太さの文字が書ける。 ところが人間には十人十色の書きぐせがあり、すべての人が理想的な状態で万年筆を使用しているわけではない。 力の入れ方も人によって違うし、筆圧も違う。 万年筆の握り方や傾け方もさまざまである。 BやBBを傾けて使用すると紙を引っ掻いてしまったり、インクがちゃんと流れなかったりすることがある。 そういったことに森山さんは古くから気がついていた。 BとかBBというペン先をもっとなめらかなものにすることはできないのかと森山さんは自分の所持する万年筆をモデルにして何度も試行錯誤を重ねてきたというのである。 そしてそれがほぼ十年ぐらいたったころ、ようやくこれならと思えるものができるようになったのだそうである。
 
 森山さんはなにしろ、ペン先を調整するのに目の細かい紙ヤスリが必要になり、市販のもので間に合わないとわかると上質の和紙に金剛砂をしみこませて、たった一枚しかこの世に存在しない極極細の紙ヤスリを自分でこしらえてしまう人である。 万年筆のペン先の状態を向上させる熱意は並みのものではない。
 
 では森山モデルとはどういうものかというと、BなりBBなりの太さを犠牲にしてMにする代わり、どのように傾けようが、力を多少加えようが、BやBBのときには得られなかったなめらかな書き味が保証されるというものなのである。 しかも最初からMのペン先とは違い、インクの流れに余裕があるから文字がゆったりした太さになるという特徴も持っているのである。
 
 私は原稿を万年筆で書くことが多い。 放送原稿は鉛筆やシャープペンシルのこともあるが、活字用の原稿はまず万年筆を用いる。 その際BやBBだと文字が太くなりすぎて、原稿用紙のマス目いっぱいになり、見た感じが、つまり文字と余白とのバランスがぴったりこないのである。 そうするとBとかBBというペン先の出番が減る。 それをなんとかしたいなと思っていたところへ、森山モデルの話である。 私は森山さんに146のペン先を森山モデルにしてくれるよう依頼した。 もちろん私の書きぐせを考慮のうえ調整してくれるようにとお願いしたのはいつものとおりである。
 
 モンブランのマイスターシュテュックは熟練した職人が手作りで万年筆を作っている。 ペン先も同じだ。 もちろん道具は使う。 ただ手作りのためペン先の太さFとかMとかBというのは職人が自分の目で確認して選択するのだという。 またペン先は同じように製造されても一本一本すべて書き味が違う。 だからBなりBBというペン先も、場合によってはBでもMに近いものもあればBBに近いものもある。 万年筆というか、モンブラン万年筆はそういった万年筆だということは頭のどこかにいれておいていただきたい。
 
 一ヵ月ほどして生まれかわったペン先を確認するため私は浜松町に行き森山さんから、BとBBがMに変化したモンブラン146を受け取った。 ルーペでペン先を覗いてみると、BやBBのときにとがっていたペン先の形が丸くなっている。 太さも前よりは細くなっている。 私は二本のモンブラン146を交互に手にし、極端に右に傾け、左に傾け自分の名前を書き続けた。 二本ともインクの流れが途切れることはない。 ペンを左右どちらにどんなに傾けても、ペン先が紙を引っ掻くこともない。 そして両者ともにたしかにMの太さなのだが、BBだったペン先のほうがBだったものより心持ち太い文字が書けるようになっている。 私はこうなってほしいなと考えていたことが、森山さんという名手のおかげで現実のものとなり、まだこの世に何百本もあるわけではない森山モデルの初期の二本を自分のものにすることができたのである。
 
 ペン先の調整・検査に関しての森山さんの技術はモンブラン本社でも認めている。 ドイツ・ハンブルクにあるモンブラン本社の役員が来日して森山さんの調整したペン先のなめらかさに驚き、モンブランの工場でその技術を教えてくれるようにという要請があったというのである。
 
 もともと、森山さんがペン先調整の技術を習得したハンブルクのモンブラン万年筆の本社から、そういう話がくるくらい、森山さんの腕は、それこそ国際的に認められているのである。 森山さんが、ドイツのモンブランの工場でドイツの人々に万年筆調整の技術を教える話は、先方の希望が二年か三年という長期にわたるものなので実現しなかった。 そのあいだの日本での検品や調整をする人がいなくなってしまうからという理由からであった。  
 ところで、モンブラン万年筆の日本総発売元は一九九三年三月、ダイヤ産業からダンヒルグループジャパン株式会社に移った。 森山さんも、ダイヤ産業からダンヒルグループジャパンに移り、以前と同じようにモンブラン万年筆のペン先の調整、万年筆全般の検品を担当していた。
 
 その森山さんが、独立し東京・大井町に万年筆店を開くというのである。 モンブラン万年筆の調整はどうなるのか、私は他人ごとながら心配になった。 話を聞いてみると、森山さんは独立しても相変わらず、モンブラン万年筆のペン先の調整・修理は続けるというのである。 もちろんダンヒルグループジャパンには森山さんと一緒にペン先の調整を担当する人たちは残っている。 私は日本の万年筆愛好家のためによかったとひと安心した。  
 
 さらにいえば、森山さんはこれからはモンブランだけでなく、ペリカンだろうがパーカーだろうがシェーファーだろうが、あるいは日本のメーカーの製品だろうが、万年筆の書き味にこだわる人々の相談に応じてくれるようになったということでもある。 そのための独立だというのだ。 万年筆好きの一人として、私は本当によかったと思った。
 
 このところ私は原稿を書くときは、モンブラン146の森山モデルばかりを使用している。 なめらかな書き味で、スラスラヌルヌルと文字を書くことが楽しいのである。 それこそ私は理想に近い万年筆で、思う存分、文字を書く自由を得ているということになる。
 
 私はキャップ・軸ともに千分の九百二十五という純度のスターリングシルバー製、ペン先は一八金の太さBという傑作万年筆モンブラン1266を持っている。 この絶版万年筆は今から八年か九年前、ようやく香港で探しあてたホンモノである。 私はこの1266を森山モデルに変更してもらいたいと思い、今その時期をうかがっているところなのである。

追記
 日本におけるモンブラン万年筆の消費者サービスの充実に関しては、元ダイヤ産業専務で現ダンヒルグループジャパン・モンブラン事業本部長、島久雄氏の功労をはずすわけにはいかないだろう。 モンブラン製品のアフターサービスの基礎は島氏が築いたものだ。 私はその恩恵を十分に受けた。 また私は島氏から万年筆業界の動向についておりにふれ教示を受けている。 ありがたいことだと思っている。   

鳥海 忠氏著 『ホンモノ探し』


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by fullhalter | 2001-02-24 16:27 | 万年筆について書かれた本